泣きながらケーキを食べたあの日の話
同じ人間で同じ言語を喋っていても、
会話ができる人とできない人がいることに、大人になって気がつく。
簡単で中身のない会話は、ほとんどの人間とできる。
しかし、自分の色々な感情が詰め込まれた重厚なテーマにおいては
話す人を選ぶようにしている。
こんな話をしても誰もわかってくれない、いや、わかってほしくもない、だから話さない。
話してしまうと、それは自分だけのものではなく、共有物になってしまうのだ。
鬱憤、苦しみ、いたみ、共有することで和らげられる感情もある。
閉じ込めずに誰かに話すことで解決できることは、たくさんある。
でも、
絶対に安易なきもちで話してはいけないこともある。
誰かとの共有物にしてはいけないこともある。
このひとになら話せると思い期待して
話した結果自分が傷つくくらいなら、絶対に話さない方がよい。
わたしには、25年間誰にも話してこなかった、内に秘めた思い出があった。
刻は突然やってきて
大人になって初めて、人に話せてしまった。
今から書くのは、そのときの話のことだ。
まだわたしが4-5歳の幼児の頃、
なんでもない日に夕飯後に家族でケーキを食べたときのことだ。
わたしはなぜか突然、ケーキを目の前にわんわんと泣き出してしまったのだ。
家族はみんな笑顔なのに。
わたしは小さい頃から感受性が豊かすぎるあまり、
幸福な時間は始まった瞬間、いつか終わってしまうということを知っていた。
幼児の頃から、幸せを感じた瞬間に、終わりを想像してしまうような人間だった。
おじいちゃん、おばあちゃん、お母さん、お姉ちゃん、みんなで笑いながら
ケーキを食べている時間が、あまりにも幸せ過ぎて泣いてしまったのだ。
「あのね、あのね。こんなしあわせなのにね、いつかみんないなくなって、このじかんがおわってしまうことが、とってもかなしいんだ。」
と言っていたらしい。
勿論家族みんなぎょっとした。
幼児が発する言葉ではなかったからだ。
それから、このエピソードは家族内で黒歴史となっていた。
わたしもこの話が出るたびに恥ずかしかったし、
陽気な家族たちにとっても、この話は笑い話でしかなかったのだ。
でも、わたしは20年以上このときに芽生えたきもちのことが、忘れられなかった。
忘れられないのに、言語化することができなかった。言語化してよいのかどうかも、わからなかった。
誰かに話したいけれど、変わり者の奇行として片付けられてしまうことが怖かった。
忘れえぬ感情に、キズをつけられるのは嫌だった。
村上龍氏短編小説「空港にて」の「クリスマス」に、このときのわたしの感情とそっくりな描写があった。
「次の映画のアイデアを誰かに話してしまうと映画を作ろうとする決意が薄まってしまう、あの男がいつかわたしにそう言ったことがあった。誰かに映画のアイデアを聞いてもらうだけで少し安心してしまうんだ。傾いたシーソーのように、自分自身が不安定でないと映画は作れない。映画製作は簡単じゃないから、この映画は実現できないかも知れないという不安感から少しでも自由になってしまうと、絶対にこの映画を撮るという決意が薄まってしまうんだ。あの男はわたしを抱いたあと、わたしの髪を撫でながらそういうことを言った。(中略)他の誰にもあの男のことを話していない。あの男が有名人で家庭を持っているから、ではなかった。あの男のことを仲間に話してしまうと何か大事なものがわたしの中で薄まってしまうような気がしたからだ。」
まさに、こんな気持ちだった。
誰かに話してしまうと、この思い出にヒビが入ってしまう気がした。
だから誰にも言わずに生きてきた。
この話をしてしまったのは突然のことだった。
自分でも全く予想だにしないタイミングだった。
わたしが心身ともに体調を崩したときに、献身的にサポートをしてくださった先輩がいる。
その方と、初めてお茶をしたときのことだった。
自分が自分を超越するというか、どこから喋っているのかわからないほど
その方の前では自分が発しているとは思えない予想外な言語が出てくるのだった。
その勢いで、話してしまった。
ずっとずっと、誰かに話したかったのに、話せなかったことを。
坂元裕二氏の「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」というドラマで、
有村架純さん演じる音ちゃんが、高良健吾さん演じる練にこんなことを言う。
「あの日みた空の話がしたかってん。誰に言っても伝わらへん気がして、伝わらへんかったらって思って、言われへんかったんやけどな。」
まだ音が幼い頃のことで、実の母が亡くなった時に火葬場で燃え上がる煙の裏に、ピンクのような紫のような空をみた。その空は、とても怖かったけれど、とても美しかったという。その空の色を忘れられなかった。忘れられなかったけれど、誰にも言えなかったという。その空の色の話を、練には話すことができたのだ。
全く同じ気持ちだった。
思わず動画におさめて、その後も何度もみた。
画面の中の架空の存在だけれど、同じように感じる仲間がいることを知り
なにものにも代えがたい安堵を感じたのだ。
きっとみんな、潜在的にはそういう感情が存在するけれど、
その感情に気づかぬふりをしているか、本当に気づいていないだけなのだ。
だからわたしがずっと手に持っているあの時の記憶は
いつか話せるひとが現れるかもしれないし、現れないかもしれない。
でもそれでいい。
それでいいんだな、と言い聞かせていた。
伝わらなかった未来を想像すると、伝えようとする意思すら捨ててしまう。
そこまでして伝えたくもないし。であれば自分の中でそっと秘めておこう。
そんなふうに生きてきたのに
ある日自分の口から、あの日の話をしてしまった。
初めて2人で話したのに、その方には、「話したい」と強く思ったのだ。
数日後、再度お茶をした時にその方はこういった。
「ケーキを食べて泣いた日の話がどうしても忘れられなくて。あなたは他の誰も持ち得ない繊細な感受性の持ち主だから、こんなところで留まる人ではありませんよ。」
わからないけれど、
全然何がなんだかわからなかったけれど、
その言葉をもらった帰り
色々な荷物をすべて手放したような気持ちになり
全身で泣いてしまったのだ。
話すことができて、よかった。
生きている間に、話せる人に出逢えて本当によかった。
ずっと抱えてきたものを、キズつけぬまま箱の中に大切に仕舞って
もうこれからは前に進める。
そんな気がしたのだ。