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上京田舎者のアイデンティティの浮遊 第一話

九州の片田舎の、とある港町。
そこがわたしの育った街だ。
海と川と山と空気しかない。
デパートにいくには1時間半かかる。
スーパーに行くと必ず誰かに会う。
田舎は噂話くらいしか楽しみがないし、何かしでかすと一瞬にして街中に広がる。
常に、人との距離が近すぎる。
そんな田舎が嫌いだった。

その街から上京していつのまにか9年経っていた。
わたしは、未だに方言を話す。
方言というより、各地から東京に集まってきた多種多様な民族の言葉を吸収し
自分の言語にして話しているので、
9年目にもなると若干奇妙な言語になっている。
生粋の九州弁ではなくなっている。
それでも話すことをやめたくないのには、理由がある。
標準語で話す自分は、偽物のようで気持ち悪いのだ。
「かぶれている」という言葉は、もはや容認できる。
だってもう9年も住んでいるのだからかぶれて当然だ。
「かぶれている」と言われても別に良い、
わたしが嫌なのは東京の一部になって死んでゆくことだ。

方言という言語を捨てるのは、アイデンティティの崩壊と同義だ。
個性を失った標準語を話すより
どんなに奇妙な言語になってでも、自分の言語を話したい。

今思えば、わたしの田舎には全てがあったと思える。
海も川も山も空気もある。
港町なので魚が新鮮でこの上なく美味しい。
散歩するだけで、みんな昔からの友人の如く挨拶をしてくれる。
自然と人情あふるる、ほんとうに豊かな街だった。
そんな大事なことに気づくのは、東京に移り住んでからなのだ。

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