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渋谷アップリンク閉鎖が我らに問いかけること

前回の随筆から、2週間経過してしまった。
絶望のミルフィーユ(絶望と絶望に挟まれる状態)で
すごく何も書きたくなかった。
小さな絶望が蓄積すると、1つの大きな絶望よりもダメージがでかい。
何をするにも身が入らない。

アップリンク渋谷が、約四半世紀の歴史に幕を閉じ、閉鎖する。
facebookのフィードで見つけてしまった瞬間、動悸がした。
絶望的哀しみに暮れた。
だからSNSって嫌い。
フィードには知りたくないことばかり書いてある。
映画.comとかのニュースで知る方がまだマシだ。
受動的に受け取る情報と
能動的にとりにいく情報では
受け取りスタンスが全く異なる。
ニュースもみてなかったため、ほぼ寝耳に水状態だったのだ。
その分、ショックも大きかった。

わたしがアップリンク渋谷で最後にみた映画は「サーミの血」だ。


スウェーデン人からの迫害を受けて差別的な扱いを受け続ける人生から抜け出すために、
大切なものをすべて捨ててでも自由を手に入れようとした、サーミ人の少女の物語。
サーミの紡ぐ歌、ヨイクが耳から離れなかった。
その日は、10月29日だった。
ハロウィンとは無縁の人生だったわたしは、
当日がハロウィン真っ盛りであることを忘却しており
映画館を出て世界にドン引きした。
この気持ちを大仮装道中に殺されるのだけは嫌だ。
一番最初に目に入ったラーメン屋に駆け込んだ。
味噌ラーメンをすすりながら、蜜のような余韻に浸った。

日本一小さな映画館としてスタートしたアップリンクのあの空間は、
ミニシアター界でもやはり特別だった。
カラフルな席と、レトロな匂い、インディペンデントカルチャーが集結し
選ばれし者しか入れない排他的な雰囲気。
すべてが好きだった。
アップリンク吉祥寺ももちろんすきだが、やはりちょっと前衛的すぎて物怖じしてしまうんだよな。

わたしは低予算映画や、
カンヌのある視点部門受賞作品、
サンダンス映画祭出場作品など、
ちょっとダークでメッセージ性がこれでもかというほど強い
圧倒的に既視感のない作品が好きだ。

そういったわたしにとって良質な映画を、これでもかというほど集めてくれる場所だった。
あの場所は、交換可能ではない。
アップリンク渋谷だからできたことなのだ。

依然としてわたしは哀しみに暮れている。
こうやって、大事なものがどんどんなくなっていくのか、
サブスクというデジタルは、フィジカルな映画体験を淘汰していくのだろうか。

さっきのSNSの話にも繋がるが、
サブスクは受動的なのだ。
配信されている映画の中から選ぶ。
そこにみたい映画がなくとも、暇だしみるか。となる。
自分の意志は、介在していない。
それに反して、映画館は自分のみたい映画をみにいく場所だ。
もはや意志しかない。

ミニシアターは、「意志」の集積所といっても過言ではない。
そんな熱を帯びた場所が、
この世から1つ消え果ててしまうのだ。
これ以上、こんな気持ちになりたくない。

わたしひとりでミニシアター訪問したところで
何も変わらないのだろうけれど
それでもわたしは、
大切な時空間を守るために、
ミニシアターに行く。
守るために自分に「できる」ことをする
みたいな綺麗事ではない。
守るために自分の「やりたい」ことをするのだ。

「意志」の集まる場所を守るのも、
「意志」なのではなかろうか。
そう信じて、わたしは今日もミニシアターにいく。

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