現実を意識で操作できたっぽい話
意識の力、思い込みの力が侮れないことを知っている。
園の役員をしていた頃、私はママ達に協力してもらって先生への寄せ書きやプレゼントを用意するという大役を…
大役って言ったら変?
しかしね、あまりの人見知りの激しさから、「お願いしますってカードを渡すだけ、渡すだけ…」と言い聞かせながら多分すんごい顔して人を探し、ターゲットを見つけた途端思考停止してしまったり。
もう冬も終わるのにクラスのママの顔も覚えていなくて、思い切って〇〇ちゃんの傍にいるママに渡したら「あ、私違うんです〜、〇〇ちゃんのママはあちらにいらっしゃいますよ♪」周り爆笑。あぁ…申し訳ないやら恥ずかしいやら…
みたいな事をやっていました。
この頃も失敗する度にエゴにボロクソ怒られケチョンケチョンに貶されて、家で一人なのに顔を覆うことが多かった。
しかし、兎に角暇。
私はとある有名な宗教2件分の訪問に応えて引きずり込まれ、真面目に宗教に向き合いつつその宗教の闇も同時に調べるという事をやっていました。(最終的に担当さんに嫌われて脱会成功しました)
いっそその宗教達にどハマりできたら楽だろうなと思ったけれど、違和感を抱えたまま信仰を深めるのも無理で、組織嫌いになり、カルト感知レーダーも強化されました。
そして普段からよく考え疑問を持つことと、今まで気にもしなかったジャンルの情報を探すことができるようにもなりました。
陰謀論系もスピ系も自己啓発系も、気が済むまで読み漁った。
そしたらその中で、心が楽になる考え方とか、意識が現実を作ることとかも自然と勉強できていて、自分がいかに現実をハードモードにしているか気付かされました。
今までの経験からくる思い込みが数え切れないほどあって、それら全部が首を絞めに来る。
私の場合、あまり都合の良い思い込みはなかったみたいです。
「何とかなる」という考え以外、「話せない」「顔覚えられない」「頭悪い」「キモい」「小さい」そんなのばっかり。
だから毎度心がズタボロで「ほら生きてる、何とかなったでしょ」となり、惨めで生きるのが嫌になってくる。
そういう時は自分の顔を殴りまくって、それでも足りなければ壁に頭を数回打ちつけると落ち着きました。
私がまた頭を打ち付け始めた時、突然、こんな事誰が望むのかとエゴが話しました。
いや死んだ方がマシだよとエゴが返しました。
エゴの暴走ってなかなか止まらないんだけど、勉強を重ねた事で内容に変化が出てきたんですよね。
自分の身体を傷付ける事は、神への冒涜だ。
じゃあ何故こんなに苦しい人生を生きなきゃいけないの?死なせてもくれないの?
見なよ、この女頭に痣作ってるよ。頑張る方向間違えてんじゃない?
もうすぐ子供をお迎えに行く時間だよ。早く泣き止んで顔を綺麗にした方が良い。
レディなんだから例えお迎えでももっと女らしくしなきゃダメよ!
いやいや、GパンTシャツで忙しい雰囲気出した方が良くない?
…一人何役やってんだこのエゴは。
(結局面倒になってユニクロスタイルにするんですけどね。)
エゴが優しい言葉をかけてくれることが出て来てからは、自傷癖が和らぎました。
沢山の発信者から学ばせてもらいましたが、優しい言葉の影響が大きいのは多分ひすいこたろうさんだと思います。あの声が好き。
病んでいる時に聞いても嫌味に変換されにくいところも信頼しています。
さぁ、情報が揃った。
卒園前、私はママ達にお別れやお礼のギフトを配ってまわる事になりました。
今日一日を最高にしよう。手始めにそう定義しました。
次に、ギフトを渡した時の相手の笑顔を思い浮かべました。
すかさずエゴが滑り込んできて、私のダサい姿とドン引きするママの姿をイメージさせました。
負けじと私は首を振って、とびきりの笑顔を作り直しました。
そして、エゴにお願いしました。
「今日だけは私の味方でいて。」
いいよ、最高を作ろう!とエゴが言いました。
…言ったよね?
エゴが私が転ぶ姿をイメージさせました。
なので私は走りやすい運動靴と、動きやすく明るい服を選びました。ついでに印象アップのため少しだけヘアセットもしました。
ありがとうございます、を数回練習しました。滑舌悪くて噛むんですよね。
普通のママの話し方をインストールする感じをイメージしました。
園に向かう間、笑顔!今日は最高!そう決まってる!と繰り返し…
成功しました。
暗示がうまくいったのか悪いイメージが邪魔してこなかったので、上手に挨拶できて皆がものすごく喜んでくれて、ついでに子供達ともいっぱい遊べて、家に帰って来た時に「良かった〜!」と叫ぶことができました。
ここまでしないと「普通」になれない私。😓
いいの!
意識が現実を作る実証実験成功させたんだもん。
いつもだったら吃ったり逃げたり謝ったりミスしたりしてたところを、初めてノーミスで人と接することができた。
この経験は今も私の心の支えになっています。
ただ、ここまでしなきゃいけないことを何か違う、不自然だと考えるようにもなって、なるだけ使わず気分を自分で上げることもしないようになりました。
調子が悪い時は調子が悪いまま。
そして不運なことが起こってもそのまま。
今の私は落ち気味だ、苦しい辛い悲しい、と抵抗せずただ感じています。
ギリギリ耐えられるのは、起こること全てに意味があるという考え方で、未来は明るいと信じているから。
きっと今は心を鍛えるターンなんだとか、ここでこういう考え方をできるようになったらいいんだろうなとか、気付きを得て勉強させてもらっている感覚でもあります。
それをうっかり忘れた時、鬱になってるんでしょうね。
日々精進。
少しずつ、常に無意識が明るい状態を目指して過ごしています。
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