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お茶の間という概念は消えかかっているのだろうか。

お茶の間の元々の由来は茶室であり、現代で思い浮かぶ意味合いでのお茶の間は明治時代以降らしいが、お茶の間のルーツを辿ると、ひとつの説として囲炉裏にいきあたるようだ。
囲炉裏を中心に、食事をし、語り合い、茶を楽しむ、といったことから、茶の間。
直接お茶がどうこうというよりは団欒の場所としての意味合いが強いようだ。
が、その頃の飲み物は茶が中心であったのだろう。

現代でいえばリビングということだろう。

確かに今や家族でさえごはんの時間もバラバラということはよくあるだろうし、同じテレビを見たり語らうなんてことよりも、食卓にすらスマホを置き、ながらごはんというのも多そうな気がする。
個人というものが尊重され、家族であってもプライベートがあり、それぞれの時間となった。

今やお茶の間というものは虚構でしかないのかもしれない。一家団欒という言葉もそのうちほとんど使われなくなりそうだ。

それにしても、お茶をする然り、お茶漬け然り、この度のお茶の間もだが、お茶というものは日常的に飲まれ、かなり浸透していたものだったように思う。
これだけいろんな文化が入ってきて、ものに溢れていれば、お茶という選択肢は減って当然であるが、結構長らくの間お茶というものは生活に染みついた文化であったということは、その多方面で使われるお茶という言葉で窺い知れる。

とはいえ、言葉で使われはすれど、(ペットボトル以外の)お茶を飲むということは確実に日本からは減ってきている。

時代というものはそういうものなので、なにかがなくなるというのは何も珍しいことでもなんでもない。
お茶席などのスペシャルなところで飲むものとしては今後も日常の文化とは異なる文化としては残るだろう。

"お茶を飲みながら語らう"も、今はほぼほぼコーヒーだろうし、お店に行けば食後はほとんどの人がコーヒーである。

お茶の可能性としては、茶は種類も多く、どのごはんでも(茶の種類により)比較的合うので、ごはんを食べながら飲むこともできれば、デザートとの相性も(茶の種類により)結構いいということだが…

それでも選択肢になかなか上がらないのがお茶である。

かみや園+

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