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「生きるって大変だなあ」とこぼしたくなるような日々と、その最大の原因である私の障害について
転職活動をしている。
前職では立場が上の人間からパワハラとモラハラとセクハラを全て同時に受け、精神が破壊されて最寄り駅の周辺3駅に近づくだけで過呼吸気味になるようになった。
世の中には男にセクハラをして楽しむ男がいるのだなあという知見を得たし、パワハラ上司のいっぱいいっぱいな様子を見ていると新人管理職は大変だなあと同情をしたりもした。
恫喝も受けたし、一日のうちに「これくらい常識でしょ」を複数矛盾する形で押し付けられたし、ここでは言えないような経験もした。休職してもうすぐ3ヶ月経つが、今でも夢に見て飛び起きることがある。
私は転職を決めた。
転職活動にはお金がかかる。休職しているので収入が僅かだ。傷病手当金の手続きが会社側のミスで遅れたのでしばらく無収入が続いた。今は実家に借金をしている。
最近は読書もあまり捗っていない。症状によっては特定の時期に小説をがーっと書いてみることもあるが、症状をはずみにしているのであまり健全とは言えないかもしれない。
悔しい。そもそも障害がなければ私だって……と思わないでもない。涙する夜もある。
しかし、一生付き合っていかねばならない障害なのだから、理解して接していくよりほかない。この記事はそういう自己分析であり、自己紹介だ。
障害について
症状説明
障害の内容を説明するのには慣れている。障害者雇用枠で転職しているから、面接のたびに傷口をほじくり返すことになる。
私は双極性障害Ⅱ型を抱えている。俗に言う躁鬱病というやつだ。
躁の時期には自信過剰になり、不必要なまでに外交的になり、金遣いが荒くなり、何事にも楽観的になり、感情が荒ぶりやすくなる。
たとえば、急にフォロワーに声をかけて食事を奢るみたいなことをしている時期は大抵躁状態だ。それで構築できた人間関係もあるにはあるが、お金がありあまっているわけではないので後で苦しい思いをする。
あるいは、本を買い込んで置き場にあたふたするのも躁状態の時に多い。私が買う本というのは分野的に大抵高価で、金銭感覚が壊れていないとそんなお金の使い方は難しい。
一方、鬱の時期には自信を喪失し、内向的になり、金銭に対する過剰な不安を抱え、何事にも悲観的になり、物事への関心が希薄になる。
たとえば、転職活動を頑張っているのに「もう無理だ、きっと私は働けないんだ」と絶望し、生活保護の相談を受け付けている支援団体を探しはじめることがたまにある。明らかな鬱状態だ。
あるいは、計算上収支計画は破綻していないにもかかわらず「このままじゃお金がなくなる、生きていけなくなる、どうしよう」と怯える日もある。これも鬱状態の典型例だ。
加えて、鬱状態のとき特有の症状として身体的に健康状態が悪化するというものがある。熱が出たり、手足が震えたり、頭痛や吐き気がしたり。傾向としては低気圧での体調不良を重くしたものに近い。
興味深い点として、躁状態と鬱状態で明らかにIQの違いがあるということも報告されている。私もSPIテストを躁状態と鬱状態でそれぞれ解いたことがあるが、明らかに躁状態のほうがパフォーマンスがよかった。
また、症状が悪化すると躁状態と鬱状態が混合するようになり、漠然とした不安感に従って積極的に余計な行動をしたり、何もかもがどうでもよくなって無意味な散財をしたりする。
一番症状が重かった頃は鬱状態の身体的な症状が重く、寝たきり状態でずっと涙を流していた。
幸い、今はしっかり療養したおかげでそこまで悪化することはないが、それでも1ヶ月の間に躁状態と鬱状態が入れ替わる波があるのが今の私だ。
双極性障害と人格
「それは単にそういう性格と体質なのでは?」と思われる方もいるかもしれない。そういう声をかけられたこともある。
しかし、そうではない。
何の症状も出ていない寛解期にはやりたくないと思っていた仕事を躁状態になると喜んで引き受けてしまうし、反対に好きだと思っていた仕事が鬱状態になると辛くてたまらなくなる。
ある意味、双極性障害は認知症に近いところがある。病によって趣味嗜好のレベルから価値判断のレベルに至るまで人格が書き換えられてしまうのだ。脳が異常を起こして人が変わってしまう障害なのだ。
セイバイン・ベアリング=グールドによれば、人狼伝説の中には双極性障害患者が含まれていた可能性があるという。詳細は忘れたが、確か『人狼伝説』に書いてあったように思う。
全くもってそのとおりで、人狼が月齢に応じて不可抗力で狼になるように、症状の波に応じて獰猛な怪物になったり、瀕死の貝になったりするのが双極性障害だ。
なぜ頑張れないのか
これだけ書くと「躁状態のときに頑張って鬱状態のときにゆっくり過ごせばいいのでは?」と言われそうだ。実際、前職でも現職でもそう言われた。
問題は、「躁状態の時期に頑張れば頑張るほど、鬱状態の程度が短期的にも長期的にも重くなる」ということだ。
今の私は鬱状態になってもせいぜい「体調が悪くなり、絶望し、嘆き悲しみ、死を望む」程度で済んでいる。仕事を乗り切ってさっさと寝ればなんとかなる。
しかし、これがもっと悪化して「朝から身動きが取れないほどに体調が悪く、脳のリソースの全てが悲観することに割かれ、気を抜くと自殺しようとする」になってしまったらどうだろうか。
当然生きていけない。少なくとも人間的な生活は望めない。
躁状態の時期に頑張れば頑張るほど、重い鬱状態に突入しやすくなる。裏を返せば、重い鬱状態を避けるためには躁状態を静かに過ごさなくてはならないのだ。
夜ふかしをしない。集中しすぎない。過度に疲れることをしない。
これを徹底しないと、私はいつ死ぬかもわからない。
実際、双極性障害は精神障害の中でもトップクラスに自殺率が高いと言われている。症状が悪化して躁状態と鬱状態が混合すると、行動力と希死念慮が一致してしまうかららだ。
生活について
障害と付き合う
悲しいことに、現代医療では双極性障害は完治しない。
限りなく症状が収まる「寛解」の状態に持っていくことはできるとされているが、根気強く治療して薬を飲み続けた末に症状が軽快する程度であって、しかも薬を飲み続けないと再発する。
だから、私は一生この障害と付き合って暮らしていくしかない。
辛い。苦しい。本当に嫌だと思う。
周囲からは「そういう特性だと思って受け入れるしかないよ」と言われたこともあるが、これが私の性格であるなどと認めたくはない。
腕を一本失った人が「元から片腕だったと思うしかないよ」と言われて認められるだろうか? 失明した人が二度と愛する人の顔を見れなくなったとして、「元から見れなかったと思うしかないよ」と言うだろうか?
たまらなく苦しいが、この障害は治らない。どんなに願っても「障害が治ってもとの健康な自分として暮らしていく」という理想は叶わない。
だから、私は常に妥協している。なれる範囲での理想を求めていく。
まずは生活苦を脱したい
障害者雇用枠で働いている。適切な配慮を受けないと私は躁状態でタスクを抱えまくり、そのまま鬱状態になって死ぬからだ。これは冗談や比喩ではなく、自殺する可能性が高い。
障害者雇用の賃金は低い。
企業に負担を強いているということもあって、どうしても収入は上がらない。昇給ペースは低い。
驚くべきことに、年収300万円でも精神障害者では超高収入に分類される。精神障害者の平均年収は150万円だ。これは知的障害者の平均年収140万円に次いで2番目に低い。
それでいて、障害年金について年金機構は「精神障害者については就労能力がある場合治癒したとみなす」と主張し、年金の給付を打ち切ろうとしてくる。私も近いうちに更新があるので、収入が一気に減りそうだ。
今の時代、年収300万円で生きていくのにはかなりの節制が必要とされる。ましてや障害者雇用は都内に集中しているので、症状と付き合いながら都内で働こうと思ったら物価も家賃も高い都内に住むしかない。
それなのに、私は躁状態の症状で気づくと散財してしまう。大して興味もない分野の本を買ってしまったり、使いもしない食材を買って鬱状態の間に傷ませてしまったりする。
どうやって生きていけばいいのか、正直に言ってさっぱりわからない。
それでも、まずは生活苦を脱したい。安定収入を得て生活を立てなおし、休職期間中に実家に借りた生活費を返済し、たまには冷静な状態で娯楽にもお金を使い、慎ましくも幸せな生活をしたい。
最近はお金がなさすぎてお米が買えず、Twitterで嘆いていたらフォロワーからAmazonギフトカードを贈っていただいたおかげで生活がなんとかなったということもあった。それくらいピンチだ。
このピンチを乗り切りたい。
現在の計画
転職活動は少しずつ実りを見せていて、なんとか選考が進んだところも複数社出てきている。運が良ければ今月中に内定が取れそうだ。
まずは生活を安定させること。週5日安定して働き、賃金を得て、その賃金で生活していくこと。これを確立させなくてはならないだろう。そのためにはやりたいこともしばらくはお預けだ。
まずは転職を成功させないといけない。現職で患ったトラウマのせいで満員電車が若干駄目になってしまったので、そのあたりの配慮ももらえるところを探している。うまくいくだろうか。
そういうわけだから、創作活動も不安定で不定期になるし、遊びの誘いも断ることが増えてしまうと思う。
とりあえずは今年を生きて乗り切りたい。
本当にピンチだ。負債があるから全財産はマイナス。収入は生活保護の水準をはるかに下回っている、というか年金を除けば今月末まで0円だった。なんとか周りに助けられて生きている。
その助けだっていつかは返さなくてはならないものだ。私は恩に報いたい。感謝の言葉だけでは足りないと感じてしまう。ちゃんと与えられたものを返せる人間になりたい。
傲慢なのかもしれない。私は弱者で差し伸べられた手に縋るべきで、それ以外考えるのは無駄なのかもしれない。それでも、今はまだ足掻いていたい。
終わりに
長い長い愚痴混じりの自己紹介を読んでくれてありがとう。
明日には忘れてしまっても構わない。ただ、今日だけは少し同情してほしい。この人大丈夫かな、と思ってほしい。その気持ちが私の心を少し楽にしてくれるから。
双極性障害の辛いところが、周囲が無関心になっていくところだ。私の場合1ヶ月のうち半分程度は元気だし、そのさらに半分程度は過剰に元気だ。だから周囲には元気な印象ばかりが残る。
しかし、実際のところ、人生の75%は障害に振り回されて生きている。
最後に、恥を忍んで、本当に恥ずかしいと思いながらも、結局私はこういうことをする。
はい、そうです、ほしいものリストです。
今現在余裕があって、私の作品が好きだったり私と遊ぶのが好きだったりする人だけでいい。私が生み出すコンテンツであったりエンタメ性であったりがなくならない程度に、応援してほしい。
具体的には何かほしいものリストから贈ってほしい。ほしいものしか入っていないから。もし選ぶのが手間なら、一番上にあるギフトカードが一番嬉しい。
善意に縋るようですごく恥ずかしいし情けないし申し訳ない。
というか、プレゼントでなくてもいい。メッセージをくれるだけでも十分嬉しい。まだ社会に私を必要としてくれている人がいるんだということを認識できるだけでも生きる気力が湧く。
ちょっと最近本気でメンタルがきているので……このままだと潰れちゃうと思いながら歯を食いしばってギリギリで生きているので……ごめんなさい、応援してくれると嬉しいです。