【解説】本の選び方に関する備忘録【初学者向け】
たまに、というかかなりの頻度でハズレの本を買っている。
私がよく買うジャンルは歴史学、宗教学、哲学だ。共通して言えるのは、再現性のある実験を行うような実証科学とは距離があるということ。
それはつまり、書こうと思えば誰でも書けてしまうということだ。それはよさでもあるのだが、いざ本を買おうとすると「専門でもない人間が聞きかじりで書き散らしたハズレ」を掴むことになる場合もある。
そういう本に学びがないわけではないが、新しい分野を学ぶにあたってはできるだけ信頼できる本を読んで丁寧に学びたい。土台となる基礎がめちゃくちゃだと応用はできないのだ。
かといって最初から特定のテーマを突き詰めた専門書を読むと、それはそれで難しい。これは応用なのだ。いきなり読むべきではない。応用を読むためには基礎が必要なのだ。
そういうわけで、この記事では「人文系の入門書で当たりの本を見つけるための注目ポイント」のメモ書きをまとめていこうと思う。
所詮備忘録なので、これが正解というわけではないという点に注意。
Ⅰ 書誌情報からわかること
通販で買う場合、ほぼここからどうにかして判断することになる。
大半の通販サイトは学術書の購入に最適化されていないため、試し読みなどはあまり当てにならない。まずはタイトルなどで検索して出版社のページを見つけ、そこから情報を引っ張ってくる。
1 - 1 著者や監修者はその分野の専門家か(重要度:☆☆☆☆)
人文系の入門書を読むうえでまず気をつけたいのが、「人文系ジャンルの本は誰にでも書ける」ということだ。
たとえば「自分は歴史の真実を知っている!」と思い込んでいる実業家や、「私は宇宙の真理に目覚めたのだ!」と叫んでいるちょっとあれな人でも出版社に伝手があれば本が出せる。
多くの場合、本というのは論文と違って商品なので、論理的な正しさや史料との整合性、主張の一貫性などは重要視されない。大事なのは大衆が手に取るかどうかだ。
そういうわけだから、出版社は正しさを担保してくれない。そうなると著者を確認するしかない。
理想は日本の研究者のポータルサイトであるresearchmapに著者のページがあること。さらに言えば著者が同分野で査読のついた論文を出しているか、過去に類著を出していることが望ましい。
学術の世界というのは大抵の場合研鑽の場であって、研究発表を行えば他者の批判に晒される。
researchmapに名前が乗っていて研究活動をしているということはその分野について批判を受け止め続けているということで、入門書の著者としてはかなり信頼できる。
さらに言えば、入門書というものは次世代教育でもある。単なる教科書と違ってその本が執筆された時点での最先端の議論がある程度含まれていることが望ましく、そのためには著者が研究の最先端にいたほうがいい。
ただ、気をつけるべきなのが「精力的な学者だからといって文章がうまいとは限らない」ということで、信頼性が高いからといって読みやすさを担保するわけではない。
少し信頼度は落ちるが、監修者が学者の場合はそれなりに期待していいと思っている。監修者が誠実な仕事をしていれば、内容の精度はある程度担保されていると言っていい。
たとえば以前の記事でもおすすめした『魔術の書』は西洋美術史・文化史の研究者で『錬金術の歴史 秘めたるわざの思想と図像』などの単著も出している池上英洋が監修している。
また、研究者ではないが専門家という場合もある。
たとえばオカルト分野においては鏡リュウジのような実践者兼著述家という人物もいるし、フランス文学者の篠田知和基は元々神話学者だったわけではないが神話学の大家としても知られる。
正直、入門書というものはあまり充実していないことが多いので、著者が専門家であることは重要であるものの、「専門家の書いたものしか読まない!」と構えてしまうと苦労するかもしれない。
むしろ気をつけるべきは「何の専門教育も受けていない実業家や自称専門家」を回避することで、たとえば日ユ同祖論のような陰謀論はここを気をつけるだけで回避できる。
また、歴史分野などで「その地域に派出していたジャーナリスト」が著者の場合もある。狭いテーマだとそういう本しかないこともあるので、この場合は一旦保留して他の項目をチェックしたい。
1 - 2 著者の所属が書かれているか(重要度:☆☆☆☆)
国内ではあまり研究が盛んでない分野というものもある。
そういう場合、海外の文献に手を伸ばすことになる。まあ大抵は邦訳文献だろう。語学に堪能でも専門分野の書籍は専門の語彙が必要なので、入門レベルのうちは邦訳文献を手に取ったほうがいい。
しかし、researchmapは日本の研究者のポータルサイトだから、海外の人物については掲載されていない。
そこで書誌情報である。著者略歴に在籍している大学が載っているかどうか。理想を言えば原著の書誌情報も見て出版社が在籍している大学の出版部になっているとなおよい。
しっかりとした本なら出版社のページがなくともCiNiiに記事がある場合もある。その場合はCiNiiをチェックしてみよう。
大学に在籍して入門書を書いているということは、後進育成として本を出しているということだ。まあ、書こうとして書いているのか書かされているのかでモチベーションは違うかもしれないが……。
当然大学の研究者が出す本は学界の人々にも批判の目を向けられるし、それなりに大きな大学なら同僚が下読みを担当していることもある。
たとえば、私がしばしばおすすめする『魔術の歴史 氷河期から現在まで』を見てみよう。
著者のクリス・ゴスデンはオックスフォード大学ヨーロッパ考古学教授で、ヨーロッパ考古学研究所の所長を勤めている。
ゴスデンはオックスフォード大学付属博物館であるピットリバース博物館の学芸員兼講師で、ピットリバース博物館は付属博物館の中でも民俗・考古資料に特化した博物館だ。
これらの情報からゴスデンは考古学・人類学の分野で信頼できる大家であることがわかり、そこから『魔術の歴史 氷河期から現在まで』が信用できる一冊であると期待することができる。
1 - 3 本自体がアカデミックな場で評価されているか(重要度:☆☆☆☆☆)
著者が大学に籍を置く専門家でなくとも、丁寧なリサーチとしっかりとした構成の上で臨めばいい本を書くことはできる。世の中には在野の研究者のほうが多いくらいだ。
だから、もし大学にコネがあるのなら「この分野でこういうことを知ろうと思って本を探しているんですが、この本のことを先生はどう思われますか?」とメールなどで問い合わせてみるのが一番いい。
そうでなくとも、たとえば研究者が書評を公開している場合はそれを参考にするといい。google scholarなどでタイトルを検索して書評がヒットしないか確認してみよう。
あるいはその本自体が研究として評価されている場合は被引用数なども確認することができる。この場合もgoogle scholarを頼るのが一番早い。
例を挙げてみよう。
国内では研究例の少ないルーン文字についての入門書である『ルーン文字の世界:歴史・意味・解釈』は、国際語学社というすでに倒産した出版社から出ていた本だ。
原著である "Runor : historia, tydning, tolkning" について調べてみると、著者のラーシュ・マーグナル・エノクセンは学者ではなく著述家であるということがわかる。
では、この本は全く信用に値しない雑学本なのか?
ところがそうではない。エノクセンは大学でスカンジナビア語を専攻している。近年は大衆寄りの著述家として活動しているが、『ルーン文字の世界』はアカデミックな場でも評価を受けている。
書評を探すと同大学でルーン文字の研究をしているヘンリック・ウィリアムズ教授が本書を「ルーン文字学の入門書として最も優れている」と評価していることがわかる。
その一方でエノクセンの後年の作品には「誤謬にあふれている」という指摘をしていたりする。
その本自体が評価されているかどうかを見ると、こういうことを確認することができる。もし『ルーン文字の世界』を読んで「エノクセンは素晴らしい研究者だ!」と他の著作に飛びついたら痛い目にあっただろう。
1 - 4 翻訳者はその分野の専門家か(重要度:☆☆☆)
その分野特有の言い回しというものがある。
学術書の翻訳は基本的にその分野の学者が行うのが慣例で、翻訳の仕事を受けた先生の研究室に出入りしている院生などに下訳の仕事が回ってきたりもするわけだ。
しかし、たとえば「自己啓発のニュアンスでも読める」「ビジネスマンが興味を持ちそう」などの理由からビジネス書のレーベルや出版社が翻訳権を買い取ってくる場合がある。
そうなると、その手のレーベルや出版社は専門の翻訳者に伝手がないから、人文系で広めに活動している翻訳者などに仕事を投げることになる。
ところが、そういう場合しばしば「その分野特有の言い回し」が翻訳者にはわからず、結果的に「日本語としては成立しているし訳文としてもおかしくはないが意味が通らない翻訳」が生まれてしまう。
シェリー・ケーガンの『死とはなにか』はその典型例だった。
自己啓発本として売り出されてしまったこの本はイェール大学の一般教養で開講されている哲学の講義の講義録だ。
スタンスとしては死の害について剥奪説の立場を取っている。剥奪説はネーゲル以来多くの学者に支持されている死の害の説明で、オーソドックスながら丁寧な議論をしていて初学者にもわかりやすい。
しかし、翻訳者の柴田裕之はどちらかといえば自然科学寄りに何でも訳す職業翻訳家で、哲学者ではない。そのため、哲学の用語については訳出に失敗しているところが多い。
この本については元々が一般教養で開講されている講義ということもあり、英語自体がかなり優しいため、原著を読むのが一番いいだろう。
反対に、翻訳者が専門家だから安心して読める本というものもある。
様々なサブカルチャーで引用されていることから、北欧神話は関係書籍が非常に多い。そして多い割に信用できる本が少ない。
では誰の何を読めばいいかと悩んだ時、山室静という名前にたどり着く。山室静はムーミンシリーズを代表としてトーベ・ヤンソンのような北欧作家の翻訳を行ってきた翻訳家である。
山室静は北欧神話の研究者でもあり、彼自身の著作も豊富だ。北欧神話関係の海外書籍で翻訳者が山室静だと安心できる。
たとえばヴィルヘルム・グレンベックの『北欧神話と伝説』は網羅的で情報量が多く、これが一般の翻訳者なら翻訳ミスがありそうなところを山室は見事に訳しきっている。
1 - 5 出版社やレーベルがビジネス特化でないか(重要度:☆☆☆)
出版社やレーベルの編集者にも方針というものがある。
学術書を探すにあたっては、まず大学出版会を見るのがいい。次に白水社や八坂書房、青土社、人文書院のような人文系に強い出版社を見ていく。
これがビジネス特化のレーベルだと、読者はサラリーマンを想定している。つまり、その専門知識をどこかで活かすことは想定していない。せいぜいが「ビジネスマンとしての教養」を提供できればいいと思っているのだ。
つまり、売れれば多少の誤謬は許容している。大衆向けの本というのは大抵その程度の誠実さで売られている。
なんなら売れる本にするために大胆な解釈を加えていたり、よくわからない愛国精神を発揮してとんでもない嘘を書いていたりする。その方がウケが良いし、話題になるからだ。
出版社は結局のところ本が売れないと利益にならない。そういうトンデモビジネス書が稼いでくれている分、売れない専門書でも刊行される余地がある……そう思えば感謝の念すら湧いてくる。
攻撃になってしまうのであえて特定の本を挙げることはしないが、たとえば「社会人のための」や「学校では教えてくれない」のような修飾節がタイトルについたビジネス書は回避したほうが賢明だろう。
中には有名な学者でもレーベルの色に合わせて多少ビジネス的な書き方をしていることもある。学者は万年金欠であり、そういう本を書かないと食っていけないことだってあるのだ。
Ⅱ 立ち読みからわかること
基本的に学術書は手にとって読んでから買ったほうがいい。
というか、無理をして買うものではない。図書館で確認を取れるのならそれに越したことはないのだ。学術書は入門書であっても高い。昨今の物価高で家計が苦しい中、無理に本を買うことはない。
まあ、買わないで図書館を頼るにしても本を選ぶ基準は知っておいたほうがいい。時間だって有限なのだから。
2 - 1 参考文献のリストがついているか(重要度:☆☆☆☆☆)
はっきり言って、参考文献のリストがついていない時点でその本は警戒すべきである。
本に限らず論文でもそうだが、参考文献とは「これくらいしっかり調査したうえで書きましたよ」という信用の指標だ。ましてや学者が書いている場合、「私はこれらの資料をチェックしました」という表明でもある。
裏を返せば、参考文献が掲載されていないということはその本に書かれている情報には出典がないということだ。
聞きかじりの知識だけで書いている可能性もあるし、独自の解釈を事実であるかのように書いている可能性もある。下手をすれば全くの嘘や妄想であったり、あるいは盗作レベルの剽窃かもしれない。
人は記憶違いをするものだし、独自の解釈だって史料を恣意的に解釈した思い込みなこともある。仮にその本の著者が高名で偉大な学者だったとしても、参考文献のリストがないというだけで信用は桁違いに低くなる。
参考文献のリストがないと、私達読者は「次に読む本」を探せないだけでなく、その本で書かれていることが本当に典拠に則っているかを確認することができない。
興味深い内容なのに参考文献が載っていないせいで疑って読むしかない本というものが世の中には山ほどある。
私がこの記事を書こうと思ったきっかけである『[ヴィジュアル版]北欧神話物語百科』について見ていこう。著者はマーティン・J・ドハティ、歴史番組への出演経験豊富な元防衛コンサルタントだ。
著者略歴だけを見ると典型的な「他人よりは詳しい著述家」という感じで、日本で言えば池上彰のようなポジションの人物に思える。
実際に内容を見てみると、北欧神話そのものに限定せずノース人についてや神話が刻まれている様々な遺産についてなど興味深い記述が多く、さらに160点以上のフルカラーの図版が挿入されていて目にも楽しい。
ところが、参考文献のリストがない。
軽く読んでみるとノース人とノルマン人について誤解を招くような記述があったり、「~と説明されることもあるが」という語り口で一体どこでその説明がなされたのかは結局明かされていなかったりする。
雑学本として楽しむにはちょうどいいが、入門書としては不誠実。そういう本を去年の私は掴んでいたようで、積読を崩す過程でこの本と再び出会ったときにぐったりしてしまった。
一応、出版社側の都合でページ数が割けずにリストを載せられないということもある。特に新書などではその傾向が顕著で、そういう場合誠実な著者は「読書案内」という形でいくらか紹介をしてくれている。
また、特定の誰という話ではないが、中には読んでいない本を参考文献として載せている不届き者もいる。
どちらかといえば参考文献を箔付け程度にしか思っていない非アカデミックライターに多く、書誌情報だけを調べて載せたのだろうなという内容に呆れさせられる。
そういうわけだから、参考文献のリストがあれば安全というわけではないし、参考文献のリストがなくても頑張って書いている場合はないでもない。
ただ、基本的には参考文献のリストがある本から始めるべきだろう。
2 - 2 読みやすいか(重要度:☆☆☆)
優れた学者が必ずしも優れた文筆家であるとは限らない。
どれだけ熱心に研究をしていても、その成果物が市民にとって読みやすいものであるという保証はない。もちろん、編集が間に入ってできるだけ読者の目線を提供してくれるが、それでも「改善」されるかはわからない。
結局のところ、読者として読めない本を買う意味はない。
「内容が充実していて構成も完璧だが読みにくい本」と「内容は少ないし構成も甘いが読みやすい本」なら、間違いなく後者から入ったほうがいい。
新しいものを学ぶというのはそれだけで疲れる。たとえ楽しくても疲労は溜まるのだ。このストレス社会で趣味の時間にまで疲労を溜めるのはあまり賢い生き方とは言えない。
さらに言えば、読みやすい本で基礎知識をつけたうえで読みにくい本に手を伸ばしていくというステップアップだって可能だ。何も最短経路で学びを極める必要はない。
中には「学問をやろうと思うのなら甘えるな、難しいなどと泣き言を言わずに読め、原書を講読しろ」という先生もいらっしゃる。私もしごかれた覚えがある。あれは辛かった。
私のスタンスはむしろ逆で、せっかく先人の成果物として読みやすい入口が整備されているのにわざわざ舗装されていない荒野を走るのは車輪の再発明を試みるようなものだと思う。
それが信用できる本であるのなら、読みやすいものを選んだって構わない。
しばしば忘れがちだが、本を出すというのは一方通行のコミュニケーションであって、その文章が悪文であるのなら読みにくさの責任は著者にある。読みにくい本を書いたやつが悪い。
「この本読みにくいな、私の能力が低いせいかな、向いてないのかな」と弱気にならないでほしい。読みにくい本を書いているやつが悪い。
加えて、専門書の読みにくさというのはしばしば専門用語のような前提知識が読者に備わっていることを前提とした省略が原因だったりもする。もっと平易な入門書を読んでからまた挑戦しよう。
まあ、実際のところ、読みづらいが読まないと話にならない基礎文献というものは分野によっては確かに存在する。
学問としての歴史が若い宗教学はこの傾向が顕著だと思う。まだ初学者向けの古典の副読本が充実していない。そもそも宗教学者たち自身が暗中模索の状況にいるのかもしれない。
一応『宗教学の名著30』のような読書案内が出ているので、ここから取り掛かるのもありかもしれないなあとは思う。
2 - 3 自分の読書環境と相性がいいか(重要度:☆☆)
これはサラリーマンを始めてから気づいたことだが、根本的に生活スタイルの中で読めない本というものが生まれてくる。
私は最近通退勤中に本を読んでいるが、電車が混んでいるなかで単行本を開く度胸はないし、そもそも仕事鞄にそんな重いものを入れたら体力を余計に消耗してしまう。
そういうわけだから、電子書籍や文庫、新書はかなりありがたい。
その一方で電子書籍には「厳密には閲覧権を購入しているだけなので所有できない」というリスクがあるし、文庫や新書だと紙面の都合上情報が省略されていることも多い。
夜や休みの日などにゆったり読書をする余裕を持てるのであれば単行本や大型本を買うのはありだが、そうでないなら優先して電子書籍や文庫、新書のような手軽な読み物を選んだほうがいいだろう。
これは特殊な例だが、学術書の場合は探してみると出版社や委託サービスからPDFなどで購入できる場合がある。
たとえば "A History of Exorcism in Catholic Christianity" はカトリック教会における悪魔祓いの歴史についての研究で、私はこれのPDFをDeepLのPDF翻訳に放り込んで読んでいる。
なぜかは知らないがAmazonで買うともっと高いうえにDeepLのような翻訳ツールを使えないので、公式で合法に購入できるPDFを所有したほうがいい。
Ⅲ 周辺情報からわかること
そもそもの問題として、どこから本を知るかという問題がある。
TwitterとかXとか呼ばれているイーロンのおもちゃで学術書についての情報を集めるのはかなり大変だし、かといって大学の先生たちは市民にいちいちおすすめの入門書を紹介するほど暇ではない。
そこで、信用できる本を探すためにまずはどのような周辺情報を漁ればいいのかについても書き記しておこう。
3 - 1 参考文献に掲載されているか(重要度:☆☆☆☆)
すでに読んだ本がある場合、そこから参考文献を辿っていくのがいいだろう。特に「やわらかアカデミズム」などの入門書シリーズは初学者向けにリストを充実させてくれている。
多くの場合、入門書に掲載される参考文献は以下の3つに分かれる。
次のステップとして読むべき学術書
特定の学説の解説について、その学説を唱えた基礎文献
多くの学説で参照されていたり、学問の基礎を作っていたりする古典
この最初、次のステップとして読むべき学術書を自分の関心に合わせて選んでいくのがいいだろう。バイタリティがあればあとのふたつについても挑戦してみてもいい。
少し変わったテクニックとして、Wikipediaの参考文献から本を探すという手がある。
私はWikipediaのことを全く信用していないが、それはそれとして記事のネタになるような本の宝庫であるとは思っている。興味のあるキーワードのWikipedia記事から文献を漁るというのはかなりありだ。
3 - 2 専門家が紹介しているか(重要度:☆☆☆)
その分野の専門家が文献リストを出してくれていることがある。
宗教学宗教史学者の江川純一が出している文献リストは私も参考にしており、次に読む本に困った時に見にいったりしている。
また、新書などで「名著◯選」というタイトルのものが出ていることがあり、こういった本もかなり参考になる。1冊あたりの紙面は幅が限られているが、少なくとも知る機会にはなるからだ。
歴史分野はたまに何も専門教育を受けていない自称敏腕ビジネスマンがSNSでリストを公開していることがあるが、まあろくなものではないので見なくてよい。
3 - 3 教科書に採用されているか(重要度:☆☆)
どうしても本選びに自信が持てない場合は、大学で一般教養などの教科書に指定されている本を選べばいい。
一般教養の教科書に指定されているということはつまり、他学部の学生が取っても問題ないような教科書を選んでいるということだ。講義での補足を前提にしていることもあるので、あてにはならないが……。
また、慣例として「自分の著書を教科書に指定して印税を稼ぐ」という小遣い稼ぎをしている講師もいないわけではない。そういう場合、内容は重視されていない。
この方法を取る際に一番いいのは、各国史をやるうえで「その国の大学で採用されている教科書」を読むことができるということだ。
記憶が正しければ「世界中の大学で採用されている教科書を検索できるWebサービス」があったはずなのだが、どこにやってしまったのか探してもさっぱり見つからない。
上記のサービスについて心当たりがある方はぜひご一報を。
おわりに
これだけ気をつけていてもハズレの本を掴むのはなぜか。「面白そう!」という興奮だけで衝動買いをするからだ。
みんなはよく考えて本を買おう!
私は今月予算切れで本を買えないぞ! 辛い! 先月の自分をぶん殴ってやりたい!