#2 発症と受験
前回まで、大検合格までお話ししましたね。
(読んで頂いた方、ありがとうございます☺︎
話が繋がらないという方は、是非、前回の記事を読んで頂けると😌)
この時点で、強迫観念障害の症状は出てました。(のちに、分かるのですが←)
16歳の夏で大検を取り、予備校へ通いながら、1年位アルバイトして…というビジョンが明確にありました。
自信もありました。
が、ここで、頭の中で意味不明な現象が起きます。
あれだけ、勉強(一つの事に集中出来ていた性格)がガツガツに出来ていたのに、全くと言って良い程、頭に入ってこない、出来ない。
マジで何だ、これ!🤯
…が素直な感想です。
まず、自分を責めます。(典型例ですね💦)
(何故、覚えられないのか?何故、一度、覚えても忘れるのか?何故、得意分野であり、自信のあった集中力が急に落ちるのか?…)
周りの目も、学力の上がらない事に自分の体感として、イライラされてる事を感じました。
全てが、上手くいかない。
受験までの時間はドンドン減っているのに。
ここでもう一つの問題が。
家族が
精神疾患への偏見を持っていたのです、両親共に。
病院に行こうにも連れていってもらえない、とにかく受験頑張れ!で、通されました。
予備校へは、ほぼ行けず、模試もろくに受けず、近所の公民館で、体調の良い日だけ勉強。(テキストで独学)
それで、明治大学、日本大学、日本工芸大学(偏差値35.0~47.5)かなぁ、体調面も考えて受験したのは。(当初の早慶上智以上は受験料の無駄だと判断)
結果は…
全て不合格。
周りにはバカにされ、何の為に高校中退をしてまで…的な事を沢山言われました。
(僕自身は、受験自体、困難だと思っていました)
ここ迄きたら、流石に病院…とはならず、
落ちた高校卒業組の友達と浪人生活をもう一年送ります。
(結果は言わずもがな。)
何処を受けたか?覚えてない程…(苦笑)
それでも、家族は、病院(精神科)への通院を認めてくれませんでした。特に、幼い頃からの相談相手だった母は。
(父は、一体何が起きてるのか?知らず、
「何故、何処も受からないのか?一つぐらい受かるだろ?」
と単純に、偏差値的な話しのレベルでの情報しか入ってなかったと思います。)
ここに、家族の関係性や連携も皆無だったと記憶してます。(妹の不登校の事もあり。)
で、限界だった僕の脳みそ🧠が限界の限界を迎えます。
治療はさせて貰えない、アルバイトは出来ない、何となく勉強(吐き気すら感じるレベルに至ってます。)を数ミリ、いや、してない時間が過ぎた、実質2浪目の早い段階で、
脳も身体も機能しなくなりました。
歳は21歳になってました。
#強迫観念障害 #発病 #うつ #受験 #精神科