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だれも知らないアパート【怪談】

※一部加筆修正をして公開しています。


この街は閑静な住宅街だ。
駅を出て東へ少し進むと交通量の多い大通りに当たる。
会社やサロン、飲食店などが点々と並んでおり、傍らを流れるA川に沿って北へ歩けば川のにおいの混じった金木犀の香りとすれ違う。
季節はまだ秋口。
肌寒さを太陽の暖かさが包んでくれる時分だ。

10分ほど歩くと、いわゆるマダムと呼ばれる人々が住まう住宅街の景色に変わってゆく。
一軒家やマンションの間を伸びる坂道。
その途中にある公園へ散歩に来ている親子の姿が平穏を物語っていた。
…今から30年ほど前、この街は大きな災害に見舞われている。

この地域のおよそ6割もの建物が全壊もしくは半壊し、数件の火災が発生した。
町の区画が分からなくなるほどの被害を受けたその年、Nさんは5歳だった。
幸いにも彼女の家族や、通う予定の学校が無事だったことなどの要因が重なり、Nさんは通常通り6歳の年に小学校へ上がることができた。 
街も1年のうちにみるみる復興が進み、災害を感じさせない景色が戻りつつあった。

それから3年の月日が流れ、Nさんが4年生の夏休みを迎える少し前。
学校が休みに入ってしまえばこうしてクラスメイトがまた集まるのは1か月後になる。
それを思ってか男子生徒1人がこんな提案をした。

「放課後、肝試しにいかない?」

クラス35人のうち約半数がその提案に賛同し、Nさんは乗り気ではなかったものの、結果が気になったので待機組として参加することにした。
放課後、集まったクラスメイトでどこに行こうかと話し合いをする中、とある心霊スポットの名が挙がる。
それは学校の裏手に建つ”オバケアパート”と呼ばれる廃墟だった。
件の災害により外壁は黒く煤け、所々がひび割れており現在は誰も住んでいない。
当時被災した建物は全て建て直されているにも関わらず、なぜかここだけは当時の姿のままほったらかしになっているのだ。
周りには「立ち入り禁止」と書かれたフェンスが立てられているが、ゴミや不法投棄物が投げ入れられている。
そんないかにも廃墟のような見た目から「幽霊を見た」だとか「声が聞こえた」という根も葉もない噂が立ち始め、終いには”オバケアパート”と呼ばれるようになった。
要するに、ただの廃住宅である。

何もないことは皆が分かっていたが、放課後に肝試しへ行ける場所は限られているし、雰囲気は十分だろうという理由から”オバケアパート”への肝試しが決定した。

肝試しへ向かう生徒は10人。
一度に行くには多いと、5人ずつのA・Bグループに分けれて決行することになった。
ルールは簡単で、一部屋ずつ見て回っていき、最後に2階の一番奥の部屋へ花を置いてくる、というものだった。
さっそくAグループが出発する。
Nさんはドキドキしながら友人の帰りを待っていた。

”オバケアパート”は学校のすぐ裏手にあるため行き来にはさほど時間はかからない。
予想の通りものの十数分でAグループが戻ってきた。
帰ってくるなり「なにもなかったよ」という彼らのセリフにガッカリしかけた時、一人の生徒がつぶやいた。
「あ、でも2階の一番奥の部屋だけ鍵閉まってて入れなかった」
…なぜかその部屋にだけは鍵がかかっていたというのだ。
なんだろうね、と話しながらもバトンタッチしてBグループが出発することになった。

2階の謎も含めて彼らに期待を寄せて待っていたのだが、10分経っても20分経ってもなかなか戻ってこない。
さらに時間が経ち、いよいよ何かあったのかと心配の声が上がり始めた頃、ようやく帰ってきた…が、全員顔が青ざめている。
そのうちの一人が血相を変えて言った。
「鍵がかかってるなんて嘘じゃないか!」

…Nさんの記憶はそこで途切れている。
それ以降の記憶が全くないというのだ
彼女が次に”オバケアパート”を思い出したのは成人式の同窓会だった。
昔話に花が咲き、その流れでふとそのことを思い出したNさんは友人に尋ねてみることにした。
「昔さ、学校の裏手にあったオバケアパートってあったよね?」
聞かれた友人は「えーなにそれー?」と言ってそれ以上この話題に触れようとしない。

あれだけ話していたのに…と不思議に思い他の友人にも聞いてみたが、全員が同じ反応で「そんなもの知らない」と言うのだ。
このとき、Nさんの中ではある疑念が生じていた。
自分の記憶違いだったのか、もしくはみんなが何かを隠しているのか。
どちらにしてもその場ではそれ以上聞くことはできず、しこりを残したまま同窓会はお開きとなった。

帰宅すると、母が豪勢な料理を作りながら出迎えてくれた。
成人式や同窓会のことを話している流れの中で、Nさんは不意に"あのこと"を尋ねてみた。
母親は当時からこの地域に住んでいるので自分よりもこの辺りには詳しいだろうし、記憶にはないがあの日のことを話していたかもしれない。
もしこれで知らなければ自分の記憶違いなのだろうと踏ん切りが付く。
「ねぇお母さん」
「んー?なに?」
「学校の裏手にあったオバケアパートって」
「知らない」

そう吐き捨てた母を見ると、いつの間にか料理の手を止め首をさすっていた。
Nさんは自身の疑念が確信に変わったことを直感したと同時に心底ゾッとした。
母には無意識にやってしまう癖がある。
噓をついた時、首をさするのだ。

2022年10月現在、”オバケアパート”があった場所には新たな住居が建っている。
文字通りもう存在しないのだ。
あの日何が起きたのか、”オバケアパート”とは何だったのか、そもそも存在していたのか…全てが謎のままである。
誰もが口をつぐむその様はさながら禁忌のようだ。
もしかすると、このことを”知っていてはいけない理由”を知らないのは、Nさんと、筆者と、そしてこれを読んだあなただけなのかもしれない。

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