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はい、抜けた【怪談】

みつきさん(仮名)は幽霊を信じていない。
そんな彼女が19歳の頃、友人の家へ行った時の話を聞かせてくれた。


通っていた大学の同級生であるAちゃんとは家が近所だ。
週に3~4回は遊んだりお互いの家を行き来する仲で、人懐っこいAちゃんの飼い犬と戯れるのも楽しみの一つだった。

ある時、みつきさんはいつものようにAちゃんのマンションへ遊びに向かった。
この日はあいにくの大雨。
傘を差しても横風に揺れた雨で濡れてしまうような降水量だ。
日も暮れていないのに空はどんよりと薄暗く、灰色掛かっていた。

Aちゃんの部屋は5階にある。
エレベーターに乗り込み、5階のボタンを押すと扉が閉まり、みつきさんを乗せた“カゴ”がグン、と上昇する。
同時に身体に付着した滴がツー、と肌を伝った。

階数表示ランプの数字が2、3、と切り替わり、4になろうとした時。
ガタン!という衝撃音と身体が浮くほどの振動がしたあと、エレベーターは停止した。
一瞬、思考も停止する。
「うわー、雷でも落ちて停電したかも」
驚きと焦りから、みつきさんは咄嗟に1階のボタンを連打する。
ここに合理的な理由はないが、“もう一度1階から上がり直せばこの不安を解消できる”という不明瞭な確信から起こした行動に他ならない。
まもなくガコン、と運転が再開し、エレベーターは下に向かって動き出す。
ひとまずは閉じ込められる心配がなくなり、ホッと胸を撫でおろしたみつきさんの思考が次に止まったのは、2階でドアが開いた時だった。
「あれ、1階を押してたはずだけど…」
見ると確かに1階のボタンがオレンジ色に点灯している。
誰かが乗ってくるわけでもなく、ただ口を開けたエレベーターホールだけが数秒の時を支配していた。
疑問は消えなかったが、どうせまた5階に行くんだしとそこで降り、外階段を使うことにした。

いつもより疲労感を覚えながらも上り切り、Aちゃんの住む部屋のインターホンを押す。
ガチャ、と鍵が開き、薄く開いた扉の隙間からAちゃんが顔を出した。
「お疲れー、入って入ってー」
玄関で靴を脱ぎ、上がろうとした時にほんの少しの違和感があった。
いつもなら人懐こく尻尾を振って走り寄ってくるAちゃんの飼い犬が近寄ってこない。
代わりに、「ウー」というまるで見知らぬ人を警戒するかのような唸り声が聞こえた。
それを見たAちゃんがパッとみつきさんのほうを向き「ここ来るまでになんかあった?」と投げかけてきた。
このAちゃんはいわゆる“霊感”と呼ばれるような少し鋭い感覚の持ち主であった。
「うーん」と首をかしげながらみつきさんは先ほどあったことを説明したが、正直ピンと来てはいない。
確かに腑に落ちない出来事ではあったが、さほど怖いと感じることも、ましてやあれが心霊現象だとも思えなかったからだ。
話し終わると、Aちゃんは「ちょっと背中の写真撮ってもいい?親戚に送ってみる」と言い出した。

Aちゃんは九州の田舎出身だ。
みつきさん曰く“田舎あるある”だそうなのだが、親戚や身近な人にいわゆるいたこのような霊能者がいることは珍しいことではないらしい。
「別にいいけど…」
背中を向けるとカシャ、とシャッター音が聞こえた。
「返信来るまでの間に、お祓いではないんだけどおまじないみたいなのしてあげるね」
Aちゃんはそう言うと台所から塩を持ってきてみつきさんの背中にパッ、パッ、とかけ始めた。
このときみつきさんは笑いを堪えるのに必死だった。
そもそも“ゲラ”なのだが、塩をかけられる自分という変な状況がさらに可笑しく思えたのだ。
塩をかけ終わると今度は笑いを堪えて震えている両方の肩をタンタンタンタンとリズミカルに叩き始める。
されるがままになっていると、不意にAちゃんがこんなことを言い出した。
「そろそろ上がってくると思うけど我慢してね」
なにが…、と思った次の瞬間、足の指先に何かが触れた。
その何かは肌にそっと密着しながら上昇してくる。
まるで輪っかが肌に沿ってゆっくりと上がってくるような感覚。
加えて、“それ”が通過した箇所には薄い膜に包まれている感触が残る。
えっ、えっ、と狼狽えている間にも輪っかはゆっくりゆっくり上昇し、ふともも、腰、指先を通過していく。
胸、肩、首、そして頭の先まで完全に包まれた瞬間
スポンッ
と抜けた。
同時にそれまで全身を包んでいた感触も消えている。
みつきさんが驚きの反応を示す前に
「はい、抜けた」
Aちゃんの声が背後から聞こえた。
振り向くとAちゃんはすでにスマホを開き、親戚からの返信を確認していた。

「あー、やっぱり」
親戚からの返信内容を見たAちゃんが呟く。
どうやらみつきさんの背中には焼死した男性が憑いていた、らしい。
訳が分からなかった。

Aちゃんの親戚が言うには、建物の2階は不吉な階なのだという。
その理由は定かではないが、2階で止まり、2階で降りたことはすでにおかしなことに巻き込まれていた予兆だったのかもしれない。
そんな、妙な説得力を感じざるを得なかった。

あとで調べて分かったことだが、エレベーターには予備電源の搭載が義務付けられている。
本来、停電等でエレベーターが停止すると予備電源が作動し“自動的に最寄りの階に昇降する”のだそうだ。
もしみつきさんの乗っていたエレベーターが本当に停止していたのなら、3階、もしくは4階に行くはずである。
逆に、問題なく稼働しているのであればボタンの押された1階まで運転するはずだ。
しかし実際に止まったのは2階だった。
焼死した男性の霊が2階の停止ボタンを押していた、のだろうか。


みつきさんは幽霊を見たことがないので、信じていない。
だが、この世には理由の分からない不思議な現象が存在することを彼女は知っている。

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