夜空を見上げて千里香
甘い匂いに誘われて、いつもとは違う道で帰路につく
映える景色や思いがけない出会いに遭遇したわけでもなく
少し時間がかかっただけで、真新しさを期待していた分だけ疲労を感じている
玄関の鍵を開けようと鞄に手を伸ばす
あぁ、どうやら何処かに落としてしまったようだ
絶妙のタイミングでやってきたため息、思わず天を仰ぎみる
曇天
見事としか言いようがないほど、星は姿を隠している
どうしようもない、、、考えたって仕方がない、、、
鍵を探しに戻る以外の選択肢はない
情けない自分を落ち着かせるように自販機で缶コーヒーを買う
リズムよく踊る光と音
ハズレ
もう一本当たれば、少しは救われたのに
空き缶をゴミ箱に投げ入れ、今にも泣き出しそうな空の下を歩く
少ない電灯、どこかしら文明の音が遠い
薄暗い細い道を、目を凝らしながら、たんたんと歩く
満点の星でなくてよかった
きっと空ばかりに目がいって、鍵を探すことを忘れてしまっただろう
容赦のない俯瞰した思考が、とんでもなく滑稽な自分に語りかける
肩を落としながら、虫がたかる電灯に目をやった
フワッと香る、甘い匂い
こんな道、通ったっけ、そんな冷静さを受け止める前に、足を踏み出していた
甘い匂いに誘われて、あきらかにさっきとは違う道を進んでいるのはわかっていたけど、僕の足はちょっとづつ速くなっているのを感じていた
街灯も徐々に少なくなって、ここがどこで、どこの道に繋がっているかなんて知る由もなかった
ただ心地よい甘い香りだけを夢中で追った
こんな街にこんな場所があったのか
そう思った僕の心境は、鍵を見つけたのと同じくらいに弾んでいたと思う
大きな金木犀
心なしか少し輝いているような、そんな印象を受けた
根元に腰を下ろして、枝葉の隙間から曇る空を眺める
花が星みたいだ
一つ一つ取れば良くない出来事たちが、ここにこうやって繋がっていたのかと、曇り空、鈍い色のキャンバスで、ほのかに、しかし確かに存在感を纏う金木犀の花、満点の星のように、きらびやかに咲き誇っている
人前ではこっぱずかしくて、とても口にできない、単純でシンプルな感動を惜しげもなく繰り返した
目をつむり、香りが鼻から脳へ運ばれていき、全身でそれを堪能する、ゆるりゆるりと、ただただ、ゆるりと
、、、、さん!
、、きゃくさん!つきましたよ!
人の声がする
お客さん!着きましたよ!
きょろきょろとする、人と目が合った
着きましたよ、料金は、、、
優しい口調だった、言われた金額を言われた通りに払い、開いたドアから外に出る、僕の家がそこにあった
お客さん!忘れ物忘れ物!
少し驚いて、慌ててさっきまで座っていた座席に手を伸ばした
あ、、ここにあったのか、、家の鍵。