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モダン・ボーイ 中村進治郎

きくよむ 時事 ラジオ
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中村 進治郎(なかむら しんじろう)
昭和初期に活動した日本の挿絵デザイナー。編集者。

生誕 1907年
1934年11月15日(27歳没)

職業
デザイナー、 文筆家、 編集者
時代
昭和初期
モダン・ボーイとしても知られた。ムーランルージュ新宿座の歌手
高輪芳子 との心中で知られる。
神奈川県横浜市弥生町(現在の横浜市中区弥生町)にて生まれる。吉田小学校を卒業後、逓信省横浜電信電話技師官駐在所に給仕として就職。関東大震災後、活動弁士見習いなどを経て、寄稿などしていた蒲田花形社に入社した。

1928年(昭和3年)には博文館の『文藝倶楽部』掲載の菊池幽芳の『狂人』
や、川端康成の
『花園の犠牲』
の挿絵を
「中村進」
名義で描いた。1929年(昭和4年)には『新青年』で、
おしゃれ欄
「わ゙にてい・ふえいあ」(翌年「ヴォガンヴォグ」と改名)
の担当を始め、横浜貿易新報連載の
清水孝祐(北林透馬の筆名)
『波斯猫』
の挿絵も描くようになった。続けて片田江全雄の
『虹の橋を渡りて』、
国木田虎雄の
『海港の人形』、
福田正夫の
『炎の華環』
の挿絵を担当した。1930年(昭和5年)には雑誌『蒲田』の編集を手伝うようになり、以降しばらく編集を手掛けながら『文學時代』などにも寄稿した。

1932年(昭和7年)交際中のムーランルージュ新宿座の歌手
高輪芳子 と、自宅である四谷の新宿園アパートで心中事件を起こし、中村だけ助かったため承諾殺人として起訴されて世間を騒がせた。数か月の未決監房生活を経て、懲役2年執行猶予3年の判決を受け、出所後、再び売文業を再開して、心中事件をテーマに小説「歌姫」を書いたり、ムーランルージュで興行などもおこなったが、1934年(昭和9年)11月15日、東京府中野区のアパートで、睡眠薬の過剰摂取で死亡。自殺とされる。享年27歳。

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