バーンアウト(燃え尽き症候群)したらしんどかった。。。
「マジでキツかった。。」
この一言でしかありません。
バーンアウトの症状が出たのは5年前のことですが、今もその影響が多少残っています。
具体的にどういう症状なのかというと、
倦怠感
やる気の喪失
なぞの疲労感
疲れてないのにずっと眠たい
ずっと寝転んでいたいという感情
今までやれた事がやれなくなる
などなど、さまざまな症状が出ていました。
ピークの時は、
テーブルに座ってクッションを持ちそのままテーブルに顔を突っ伏している
という奇妙な状態になりました。
本当に体が重くて動かないんですよね。
何もしたくないんです。
自分でも何をしたいのかはわからないのですが、とにかく「じっとしていたい」という状況でした。
今ではかなり回復しているのですが、休日になったり仕事から帰ってくると似たような症状が出ます。
そして、つい最近まで
「なぜバーンアウトになってしまったのか?」
よくわかりませんでした。
ですが、「バーンアウト 本」で検索した時に、ある本に出会ってから自分がなぜハーンアウトになったのかわかった気がしました。
ちなみに、その本がこちらです↓
まず目についたのは、バーンアウトの『きっかけ』です。
この本には、こう書かれていました。
『バーンアウトの着火点は理想と現実のギャップ』
なるほどと思いました。
僕の場合は、仕事に対して期待していたけど、それが自分の理想とかけ離れていることがわかった時にバーンアウトになった気がしていたからです。
僕は仕事に対して
「やったらやった分だけ対価がある」
と期待していました。
仕事中は「なんでみんなもっと働かないんだろう?」とさえ思っていました。
ですが、コロナの影響をきっかけに仕事を全力でやっても返ってこないということがわかったのです。
僕は病院で働いているのですが、コロナになると外出を控える人が増え病院に来る人が減ってしまいました。
そうなると、病院の経営はままならなくなります。
僕の働いている部署は透析をする仕事なので、絶対に患者さんが来る場所です。
透析は週3回やらないと命に関わります。
なので、コロナであろうが患者さんは病院にきます。
そうなると、病院全体で見ると患者さんは減りますが、僕の働いている部署は患者さんが減ることはありません。
その中で日々忙しくせっせと働いていました。
ですが、病院の経営が芳しくなく、ボーナスを削られるという事が起こりました。
僕はコロナ前後で同じように働いているにも関わらずボーナスを削られたのです。
自分で言うのもなんですが、はたから見たら「よくやるな〜」と言われるくらい働いていました。
上司からは評価は「ボーナス削られても問題のないように評価上げておくから」と言われるくらいです。
ここまで話を聞いて「ここまではみんな喰らっている影響だし、そこまで対応してもらって何が不満なの?」と感じる方も多いはずです。
ですが、もう一つ問題があったのです。
それは、『お金が必要』な状況になったからです。
ちょうどその時、僕は1年半ほど付き合った彼女と結婚しました。
結婚すると、色々とお金が必要になります。
結婚式やら引っ越しやら新生活の準備などなど。
自分が想定していた以上のお金が出ていくのです。
これを経験したことにより「もっと稼がないといけない」という感情が芽生えました。
妻は妊娠を機に仕事をやめ、僕は一馬力で頑張ることになります。
それまで受け取っていた年収は430万円。
20代後半にしては結構いただいている方です。
でも、その中には毎月3万円の家賃手当が入っていました。
結婚すると家賃手当はなくなります。
つまり、結婚したと同時に年収が36万円ダウンしてしまったのです。
正直、これはかなり痛かった。。。
それプラス働き方改革で残業が少なくなります。
今の年収は350万円ほど。
年収にして80万円分のお金が受け取れなくなったのです。
一人暮らしをしていたときは余裕で貯金できていたのですが、今となっては毎月赤字の状態。。
仕事を全力でやってきたにも関わらず、いざお金が必要になった時には全然足りない。。
「働いたら働いた分だけ返ってくる」という期待は無惨にも打ち砕かれました。
よくよく考えて見ると、この理想と現実のギャップがバーンアウトになる『きっかけ』だったのだと思います。
そして、慣れない結婚生活、出ていくばかりのお金、期待を裏切られた仕事。
いくつもの要因が重なって僕は動けなくなりました。
仕事ができなくなってしまったのです。
というわけで、とりあえず仕事を辞めました。
仕事を辞めれば回復するだろうと思っていましたが、状況は良くなりません。
なぜなら、自力で稼ぐ力がなかったからです。
僕は一応、臨床工学技士の資格を持っていますが、その職業しか経験がないため他の職種に転職するという選択肢を諦めていました。
バーンアウトになると、仕事に対する恐怖心が芽生え転職をすることを考えられませんでした。
そんな時YouTubeを見ると
ブログで月収100万円
YouTubeは広告収益で稼げる
初心者はせどりから始めるのがいい
などなど色々な情報が飛び交っていました。
お金が全然足りないと感じた僕はYouTubeの言葉を真に受けて、投資やせどり、ブログを始めます。
お金の不安があったので、不用品も自分の嗜好品も全てメルカリで売り払いました。
節約もしました。
本当に困っていたので、この時に読んだお金の本の内容は今でも覚えています。
まだ読んでない方は絶対読んだ方がいいですよ。
お金が貯まらない理由がわかるはずですから。
リンクを貼っておきます↓
話を戻しますが、事業や投資をしてみたり、メルカリで不用品を売ってみたり、節約したりと色々としてきました。
こうでもしないと「お金が足りない」という感情を誤魔化すことができなかったんです。
でも、思うように稼げません。
自分がもらっていた給料さえも稼げないのですから。
「自力で稼ぐのはマジで難しい。。」
そう痛感しました。
正直なところ、当時の僕は準備不足でした。
商売をしたこともないのに、いきなり仕事を辞めてお金が稼げるわけがありません。
お金が稼げない焦りとストレスが大きくなり、お酒を飲んで家族にあたっていました。
マジ最悪です。
しかも、仕事を離れてストレスがなくなったもののバーンアウトの症状は残っていました。
「何かがおかしい。。」
だって、仕事のせいでこうなったのに、なんで辞めたのに症状が残っているんだと思いました。
稼ぐことに集中したい一心で、生まれたての子供と妻を実家に預け、僕は1人でブログやせどりをすることにしました。
ですが、集中しているにも関わらずやる気が起きないのです。
毎日稼げない絶望感に襲われて、ブログもせどりもやらなくなってしまいました。
読書をしたりVoicyという音声配信を聞いたり勉強はするものの、それ以上のことはできない状態でした。
集中するために犠牲を払っているのに、結果が出ない。。。
マジで地獄のような生活でした。
僕の実家は田舎なので、実家以外は何もありません。
小学生時代の同級生は15人程度。
連絡を取り合っている友達がいるわけではないので、誰とも遊ぶことができません。
1人孤独でただただ過ごす生活。
毎日12時間くらい寝て起きたらhuluを開いて旅猿をダラダラ夕方になるまで見てました。
まさにニートです。
自分で稼げるようになりたいと始めた事業だったのですが、何もかもうまくいきません。
今思えば当たり前なのですが、自分には才能がないセンスがないという現実が受け入れられませんでした。
極めつけは『離婚危機』です。
妻が大変な思いをして子育てをしているのにそばにいてやれない。
自分がその環境を作ったのですが、成果が一切出ないまますれ違う事が多くなりました。
週1回片道2時間半かけて会いにいっていたのですが、会うたびに怒鳴り合いのケンカをして妻を泣かせてしまっていました。
こういう日々が1年半続きました。
その辺で精神がさらに病み始めます。
年末に高校の同級生と飲みに行きました。
お酒は強い方なので、その日も飲みまくりました。
僕の実家は島なので、橋の前までタクシーで送ってもらいそこから1時間かけて歩いて帰りました。
年末だったので、めちゃくちゃ寒かったことを今でも覚えています。
橋を渡っているとふと思いました。
「ここから落ちたら楽になるかも。。」
でも、そんな勇気もなく、またトボトボと家まで歩き続けました。
家の近くに差し掛かったあたりで急に
「誰から追われているのではないか?」
と思うようになりました。
怖くなって小走りで家に向かいます。
家に着くと、深夜の1時を回っていたと思います。
そこからシャワーを浴びに行きました。
今でもよく覚えているのですが、顔を洗って鏡の前で髭を剃っている時でした。
いきなり動悸が始まったのです。
「これ絶対死ぬ。。。」
と思い、急いで風呂から上がりました。
「救急車を読んで欲しい」
でも、全裸だとマズイと思ったので、急いでタオルで体を拭いて服を着ました。
冷静に考えると、服を着る前に助けを呼びに行けよと思うのですが、なぜかこの時は周りからどう見られるかを考えていました。
そして、意識が飛びそうになりながら2階で寝ている母親のもとに行って助けを求めました。
ただ母親は救急車を呼んでくれませんでした。
母親は保健師をしているので、その経験からか家で休むことを勧めました。
すると、症状が落ち着いてきたので、そのまま寝ました。
この発作が起こった日から不安がつきまとうようになりました。
「またあの発作が出たらどうしよう。。」
動くと発作が起こりそうになるので、僕はひたすら寝ることにしました。
年末年始、ずっと1人で寝ていました。
しばらくして循環器内科に行き、心臓の検査をしてもらいました。
ですが、異常なし。
また同じようなことが起これば大きい病院へ紹介するよとのことでした。
心臓は異常ないなら、精神科か。
そう思い精神科を受診しました。
ここでも採血などをしますが、釈然とした回答は返ってきませんでした。
「不安障害?」
と言われて、薬を渡されました。
でも、ほとんど飲みませんでした。
依存性のある薬だったので、これに頼り切りになったら嫌だと思ったからです。
そんなこんなで、この状態では精神も持たないし、お金も稼げない。
ちょっと元気になってきたところで、元上司と飲みに行きました。
そこで、こういう提案をされました。
「仕事の隙間時間にやりたいことがあるならやってもいい」
「今の状況は良くないから、働いて近くにおってやるのがいいんじゃない?」
「副業やりつつ給料も上げていけば、自分の理想としているところに近づけるでしょ?」
正確な言葉は忘れてしまいましたが、こんな感じの言葉でした。
「確かにな〜」と思いました。
すでに家族の関係はボロボロだし、未来が一切見えない状況だったからです。
そこで仕事への恐怖心を振り切って、復職して頑張ることにしました。
まずはバイトからでしたが、仕事があることは本当に恵まれていることだなと思いました。
めちゃくちゃ嫌だと思っていた仕事ですが、一旦離れてみると、色々と気づかされることがあります。
ただ復職したとはいえ、ここからが大変でした。
1年半もブランクがあると、全く仕事ができないのです。
すっかり仕事をしていた時の記憶がなくなっていました。
バイトなので気が楽ではありましたが、できない自分に自己嫌悪する日々。
離れている間に人間関係もかなり変わっていたので、馴染むまでに時間がかかりました。
自分の中に「この人たちとは違う」という変なプライドも芽生えていたからです。
辞めたのに結果が出なくて、戻ってきた。
そう思われるのが嫌だったのかもしれません。
そして、仕事の隙間時間にブログを書いたりトレードをしたりする日々。
あれこれやって2年が経ちましたが、結果が全く出ませんでした。
結果が出ないのは「周りのレベルが低いからだ」
そんなことを思ったことも何度もあります。
思うように結果が出ないので、またバーンアウトの後遺症が出現するようになりました。
日曜日の夕方になると、憂鬱な気分になることが多くなりました。
数年前にやったことがあることでも、『今』の自分ではできない。
理想の自分は難なくこなす自分。
でも今の自分は何もできない。
ここでも理想と現実のギャップが自分を苦しめていました。
出勤する前には妻に何度も「行きたくない。。」という弱音を吐いていました。
妻は「行きたくないんなら、行かんかったらいいじゃん」と言ってくれてました。
僕は妻のこの言葉を待っていたのかもしれません。
妻から「いつ辞めてもいい」と言われることを待ち望んでいたのです。
そして、憂鬱感が強くなってきた頃に、上司にこう持ちかけました。
「整形のオペに入るのが辛いです。来月から外してくれませんか?」
「今の自分が整形のオペに入ったら他の人に迷惑がかかるから、後輩に行ってもらった方がいいかもしれません。」
そうすると、こんな言葉が返ってきました。
「別にいいよ。でも、先生とも看護師ともコミュニケーションが取れない人が他の職種に転職したとしても同じことが起きるよ。」
「お金を稼ぎたいなら、自分の価値を上げることを考えて仕事しないと」
「ぶっちゃけ仕事ができるとかできないとか、あなたのことなんて誰も気にしてないよ。」
こう言われてハッとしました。
『自意識過剰』になって周りの評価を気にしすぎていた自分に気づいたんです。
僕は無意識のうちに周りの評価を伺って守りに入っていたのです。
だから仕事が楽しくなかったし、ただただ嫌だったのです。
ここでわかったことがあります。
今の自分の課題です。
それは
「他の人とコミュニケーションを取ろうとしていない」
これです。
突き詰めていくと、商売はコミュニケーションなんですよね。
『人』がモノを買うわけですから、コミュニケーションを取ろうとしない人は商売ができません。
人間関係を疎かにしていたから、結果が出なかったんだなと感じました。
そして、憂鬱になった時に読んだ本があって、その内容がちょうどこの時の僕とリンクしました。
嫌われる勇気という本なのですが、この本にはこう書かれていました。
『すべての人間の悩みは人間関係』
人間関係が悩みを作っているという言葉です。
この言葉を見て、自分はただただ周りの目を気にしすぎて勘違いしていただけなんだと思いました。
この勘違いに気づいてから、何かが変わりました。
別に整形のオペに入ることも抵抗感がなくなり、憂鬱になることがなくなったのです。
考え方が変わっただけで、こんなにも変化があるのかと驚きましたし、反省もしました。
自分の成長を止めていたのは『自分自身』だったのです。
これに気づいてから、守りに入ることをやめて人の懐に入ることだけ考えるようになりました。
自分が苦手だと思う場所では愛想笑いを多めにして話しやすい環境を作ってみたり、率先して仕事をやりました。
そうすると、会話が生まれて円滑に仕事ができるようになったのです。
やることを少し変えただけで、憂鬱感があった場所にも何事もなく行けるようになりました。
辛い時に読んだら気が楽になる本ですよかったら読んでみてください↓
話を戻しますが、
バーンアウトになったきっかけは『理想と現実のギャップ』だとお話ししました。
今回の経験で分かったのですが、バーンアウトの症状が出るということは「その理想が間違っている」可能性があります。
バーンアウトになった時に抱いていた理想は、どこか間違っていたところがあったのです。
じゃあ、なにが間違っていたのか?
今考えて思うことは『他人の理想を自分の理想にしてしまった』ことです。
例えば、「不労収入を得たい」とか「FIREしたい」とかそんな感じです。
これって本当に自分の理想なんでしょうか?
僕はニート生活をしてわかったのですが、人間は人間関係を断ち切ってしまうと鬱になります。
仕事をすれば、人と必然的に触れ合わなければなりません。
多少のストレスはあるかもしれませんが、鬱になるくらいなら仕事のストレスと向き合った方が随分楽だということがわかったのです。
僕が目指していた不労収入やFIREは、鬱まっしぐらの生活です。
これは本当の理想ではありませんでした。
ここで僕は仕事をしたくないのではなくて、家族が養える+少し贅沢できるお金がもらえて、尚且つ自分の成長を感じられる仕事がしたいのだと気づきました。
これが『今』の僕が思う理想です。
ここに辿り着くまでに4年の歳月がかかりました。
でも、理想が見つかればそれに向かって走るだけなので、あれこれ悩むより気持ちが随分楽です。
バーンアウトをした時は
「人生終わった。。。」
と思っていました。
ですが、結果的に
「自分にとって本当の理想とは何なのか?」
考えるきっかけになりました。
自分と向き合うきっかけになりました。
僕にとって何にも変え難い経験です。
こればかりはお金を払っても変えませんからね。
辛いこともありましたが、それを乗り越えた先にまた新しい境地があるのだと、信じれるようになりました。
この記事がバーンアウトまで行かないまでも、精神的に辛い時を迎えている方の励みになれば幸いです。
ご覧いただきありがとうございました!
追伸:凄いものを見つけてしまいました。。
恐らくほとんどの人が使っていないと思います。
「このクオリティでこの値段ってヤバくない?」と思ったものがあったので、紹介していきます!
それは『楽天モバイル』です。
これマジでヤバいですよ。
なぜなら、隙間時間や休憩時間でも思う存分YouTubeやアマプラを楽しめるからです。
「???」それ普通やんって思われますよね。
さて、ここからが重要です。
無制限でスマホを使いたいって方がほとんどだと思います。
でも、月額料金が6,000〜7,000円と高いですよね。
僕もドコモでギガ放題を使っていたのですが、オプションを含め月額9,600円も支払っていました。
大事な手取りからスマホのためだけに1万円もかかっていたのです。
「これはマズイ。。」
と思って無制限で使えるキャリアを探しました。
すると、楽天モバイルが月額3,278円で使えることを知りました。
これに乗り換えるだけで、年間7万8,000円の節約です。
残業代に換算すると、40時間の残業代に匹敵することがわかりました。
一馬力で働いているので、毎月の家計簿は赤字です。
藁にもすがる思いで、楽天モバイルに申し込みました。
実際に使ってみて、驚きました。
なぜなら、ドコモ回線と同じように使えるからです。
スマホ代が3分の1に圧縮されて、さらに使い心地はほとんど変わらない。
これは革命じゃないかと思いました。
だから、多くの人に使って欲しいと思い、こうして紹介しているわけです。
正直、これに気づいてから「なんでみんな使わないんだろう?」と思いました。
こんなに安くていいものが目の前にあるのに。。
僕からしたら大手3大キャリア(ドコモ、au、ソフトバンク)を使うのは勿体無いですし、贅沢品の領域です。
少しでもお金を貯金したい、投資の資金にしたい、これから事業をしたい。
という方は使うべきだと思います。
ということで、スマホ代を少しでも抑えたい方はぜひ使って見てください。
最近見つけた『凄いもの』でした。
興味のある方は以下の記事をご覧ください↓