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誰かを褒めても自分は変えられない。


誰かを誉めることで

自分が満足する。


いや、自分を満足させるため

そうするしかないから

そう思い込もうとしている。


SNSを常日頃やっている

ヘビーユーザーには

確実にある感覚でしょう。


彼らの多くは、宙ぶらりん。

精神的なものに限るとね。


まるで満足できない自分を抱え

誰かがいる空間で過ごさないと

置いていかれてしまう。

そんな気持ちで入り浸るのでは?


誰かを応援するというスタイルが

定番化しているが満足だろうか?


自分がやりたいことを実現させて

なおかつ、誰かを応援する人は

ほとんどいないだろう。


裏を返せば、実現させようと

頑張る人は他人を応援している

余裕など無いはずだから。


多いのは、自分がやりたいことを

実現させられないから

誰かを応援する形で追体験する。


そちらのほうではないか。

何のバーチャル?というか

現実なのか?という感じ。


なんだか見えないチカラに

吸い寄せられ、SNSに集まり

感情のすべてをあてがう。


その中で生きている実感を

している、させられているよう。


盛り上がりの収縮を

短期的に繰り返しながら

リアルな感情、偏見、羨望、嫉妬

いろいろと入り混じりすぎ。


良いことばかりではない。

人間の本性が「怪魔」見える。

年齢や経験、性格によって

善にも悪にも転んでしまう。


ただ思うに、人間は本能的に

何かを言いたい、発したい。

そういう欲求は絶えずある。


どんな立場でもそうで。

学歴や経験、生い立ち関係ない。


当然、功罪も人の数だけ。

わりと歳をとっているほうが

経験があるぶん、狡猾です笑


表向きはあんな立派で

分別も地位もありそうな人が、

という世界でしょ。


言いたい、発したいという欲求。

裏を返せば、自分も叶えたい欲求。


自分ならこうする、すべきだと

そう言いたい、発したい。


それが可視化される時代には

常識のスイッチングを少し

イジって変えないといけない。


追随したとしても

何も変わらない。


応援したとしても自分は

何も変わらない現実だけがある。


社会はそうやってアドバンテージを

保ってバランスを取ろうとしてきた。


その王道ではバランスが

取れないほど、人口自体が

爆発してしまった。


1億人以上では通用しない常識を

既存のバッグに押し込み人詰めする。

そりゃ窮屈、ストレス爆発するよ。


どうしてこんな誹謗中傷するの?

というが、キャパの変わった時代で

同じ常識で責めても仕方ない。


自己責任で突き放す

勝ち組のつくるアドバンテージを

変えなかった社会の責任で。


勝ち組のロースコアゲーム。

勝ち組は引き分けてもいい。

負けなければいい立場だから。


成功者が増えることを求めない。

自分だけが成功を続けられれば。


元気をもらうという幻想。

たしかにあるが、次がない。

ここがずっと問題としてある。

よし自分も、とはなれない環境。


ホントは自分もやりたいことを

選ばれた誰かが、やっている。


その誰かを応援したり、

けなしたりすることで

満足感を得ているのではないか。


ホントは自分もやりたい。

それでも場がない、資格が

立場がそこにまずはいかないと。

みんなそう思ってしまう。


違う、違うんですよ。

無意識の参考書頼りの自分を

捨てないと変わらない。


過去も現在も含め

うまくいかない人

その多くは選択肢で

確実なものを選ぶため

競争率が上がって負けた人。


その行列や競争に勝ち抜かないと

道が閉ざされてしまう社会に出て

その波にのまれてしまった人。


そこで漏れた敗れた者たちだが

じゃあ負けました、そしたら次

自分はどうできるか?という局面。


その局面になるけど現実には

そこから先の選択肢を勝ち組は

用意することはないんです。


ここまで書いたように

成功者を増やしても損するだけ。


自分のフィールドを狭くする

間借りさせる必要もない。

彼らはそうやってコントロール。


負けたイコール、終わった。

手詰まり、もう面白くない。

夢も希望もないと考える。


ここから自分は負けたけど

イコール、終わったけど

誰かを応援して追体験するような

楽しみ方をする者もいる。


あるいは負けた、面白くない。

誰かが同じようなことで

成功している、腹が立つ。

行き場のない不満をぶつけて

解消しようとする者。


そしてそのどちらでもなく

完全に遮断して諦めて粛々と

忘れて生活する選択をする者。


いずれにしてもいま必要なのは

敗れた者の、次のステップを

意識してつくること。


進める道で、道自体をも

協力し合ってつくる

という取り組みだろう。


それがすべてなのかなと思う。

これを無料でできなければ

意味がない、カネとるとダメ。

うさんくさいのと同じになる笑


私たちのいま生きる現代の

あらゆる技術を活かせば

諦めて終わり以外の知恵や

アイデアは実現可能なはずだ。


現代人が過去をこえるならば

この道をつくらなければ

こえることはできないだろう。


冷静に考えても可能性は

ゼロではないのだが

誰もやろうとしないから

実現していないだけの分野。


ポジティブに拓いて進めば

実現可能なこともあるだろう。


それをすべて諦めさせるのは

日本人が、どうしても誰かの

歩いた道、先例が整わないと

動こうとしないから。


そこに並んで恩恵を受けよう

失敗と無駄をしたくないとする

姿勢をやめないからだと思う。


後を追っても、応援しても

変わらない。

誹謗中傷も終わらない。


なぜならそこで満足できない

次のステップができないから。


この手のネットリテラシーを

要求するなら、彼らに対しては

別の道を、夢中になれる道を

つくらないと何も変わらない。


この問題の打開策は

新しい逃がし道をつくる。

それしかない。


この手の話では、そんなことない

頑張っている人もいるよと

そこで止まってしまうことが多い。


あくまでも自分自身より

全体の話で、なんなら

そう思う人より立場の低い

苦しむ人の話なんです。


そこを基準にしないと

この話はいつも

そんなことないで終わる。


そして自分でやればいい

で終わるんですよね。

これもいつも同じで終わるだけ。


そんなことないの次。

自分より状況が悪い人。

ここの突破がすべて。

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