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強くなれないまま、ごめんね


アンチヒーロー終わりましたね

内容としてはワタクスも常日頃

思って書いてることと同じなので

初めて知ったような気づきはない


その先、どう変えるか人の気持ちを

動かせるかどうかが、問題だから


やる人が現れるのを待ち従うのか

やる人を生むために人の気持ちを

動かせる雰囲気をつくるべきか

私たちがやるべきは後者ですから


自分だけじゃできないから

人の他人の気持ちを同時に動かす

その雰囲気をつくることが重要で

日本が変わるにはそこしかない


でもね、相変わらず一般的に存在する

ネット民的な人や上級国民の悪癖を

これでもかとばかりに揶揄してるけど

自分のことを言われてるとも思わない


リアルな社会で当の本人たちは

ドコフクカゼなんですよね


自分のことを言われていても

自分のことじゃないみたいにふるまう

そうすることでしか自分を守れないと


そしてある意味で開き直って

当事者も当事者以外もあきらめて

どうせ倒せないだろ?って思ってる


萬斎の役や言葉や態度はすべて

そのような上級国民やネット民に

グッサグサ刺してるんですけどね

彼らは痛みを感じないゾンビ衆


だから今回もそうだよねぇという

感想は多少チラつくだろうけれど

それが事態を動かす、時代を動かす

まではならない、動かしたら逆に

しゃくにさわるくらいのプライドが


あくまでエンタメで、エンタメが

終わったロス状態に浸りながら

新しいのが始まると忘れて次を楽しむ


この繰り返しをしてるだけでね

変えるのは自分じゃない誰か

みんながそう思う、自分じゃない誰か


すると、自分じゃない誰かは

たらい回しにされ役所の前に集まる

役所はめんどくさがりながら


仕方なく集まる膨大なたらい回しの

処理に忙殺されながら終わりは見えず

彼らとて、当初の意志をくじかれていく


日本人の本質は、自分じゃない誰か

自分の家の前がキレイなら、それでいい

やり方や処理の仕方、決めてくれて

整えたら協力しますよ(仕方ない、と)

というスタンスで動かそうとしない


誰がやる?どうやってやる?

自信が持てない、やり方がわからない

その末に溜まったホコリと高まった誇り


今度は自分がアンチヒーローになる

北村匠海が応え、視聴者に問いかけ

終わりを迎えたのだが、響かないだろう


視聴者の多くはハッピーエンド的

スッキリ感をモヤモヤさせられても

これは続編に期待だ!とすり替える


そういうことだろ?いや

そういうことじゃ、ないだろ?


強くなれないまま、ごめんね

ごめんねと、誰が誰に言うのか

誰の誰のための、気持ちなのか


私たちひとりひとり、自分に対し

向けられているのも、きっと誰もが

わかっているはずなのだが


ごめんね、仕方ないんだ誰も自分を

助けてはくれないから、自分で自分を

守るしかないんだとそこから先に

踏み出せない縛りの中にいる日本人


なら、あなたがやれば?じゃない

「あなた」の総量が「自分」に変わり

自分の総量が全体を少しずつだが

意欲を掻き立て動かす一歩になる


そういうことだろ?

もしかしてだけど





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