いまは英雄視できる時代じゃない。
国葬ってのはその人の功績や基準
いろんな条件があるんでしょ?
でも現代の国民が感じる一番は
お金=税金をそこに使う判断に
納得いかないのだということ。
必要あるお金の使い道
たくさんあるのに
大きな葬式出さなきゃみたいに。
その感情は相手を思ってではなく
自分の体裁のためだけなんでね。
立派な人、功績があった人・・・
立派に送ってやりたい。
その前提はわかるんですけど。
その費用を国会議員たちや
そうしたいと思う人たちが
自腹で出せばいい。
税金使って当然にやろうとしてる
その態度が気に入らないんです。
まず戦前と戦後安定以降では
政治家の仕事や質、状況が
いまの時代と違うでしょ。
さらに取り巻く国民の声の
届き方がもう、違うでしょ?
昔は声さえ表明できず封殺できた。
国葬をした人を見ると
ほとんどは戦前、戦後まもなく。
いまの日本と違う動乱期。
政治家自体の質も違う
よりイクサ臭の強い時代だ。
ヒロイックなシンボルとしての
政治家がいてその功績をたたえて
国葬という形を難なく取れた。
いまでいえばウクライナの
ゼレンスキーのイメージ。
渦中にあって混乱をおさめようと
先頭に立ってやったことが
誰から見ても明らかだという人。
そういう基準だと思うんですよ。
たとえ周囲の政治家らの評価が
国葬に「値する」人であっても
いまの時代にやるべき所業ではない。
国民の反対意見はあってもやれた時代。
声なんか聞く必要もないのが
常識的な時代だったとイメージできる。
その時代といまは同じじゃないでしょ?
国民は「まともなレベル」に地位向上した。
まだまだ不十分ですが、戦前の日本に
くらべると国民が意見を言う自由がある。
かつての時代の英雄視された政治家と
安倍晋三を同じ列に並べるのは
もう不自然な時代になった。
国費でやることに大多数の意見を聞かず
やろうとするのが信じられない。
国民の感情としてはそうなりますよね。
彼らは国民の声を自由に裁量で
ピックアップして都合良くやるが
全体の総意としては違うでしょ。
そもそもがいまの政治家って
表立っては自腹で、身銭切って
何かやるっていうイメージが
湧きづらい人たちでね。
税金でメシ食う人々らに対して
自分のフトコロに入れば
税金でなくなると思ってんのか?
って言いたくなる人も多いハズ。
自分のお金だと思ってしまう。
法律で決まっていることだから
堂々としたもんですよね笑
でも国民の感情の側に立つと
みんなから集めておいて
みんなより多く安定してもらう。
そんなイメージもあるから。
貯金もできて、余裕があって
貯め込んで使わず堅実に生きる。
そんなに国葬扱いをしたいなら
費用を自腹で出して下さいよと。
貯金あるだろ?ってことですよ。
貯金に手をつけず
費用が足りないとか言ってるやつが
結構いますからね笑
自分だけ苦労してる感じだすのは
上級の連中に結構多い。
たぶん庶民と苦労のレベルは違う。
もっと下のレベルの苦労を経験せず
大変だと陶酔する姿が滑稽すぎる。
苦労とお金が人生に直結する庶民と
直結しない上級とは状況がまるで違う。
やるというなら自分で出してね。
税金を使わず、税金を一時的に使うなら
自分の報酬からちゃんとカットしてね。
それをちゃんと公表してくださいよ。
そうしないと庶民は誰も納得しない。
納得しなくても声を封殺できた時代と
いまはもう状況が違うんだから。
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