![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/24046321/rectangle_large_type_2_f52cabd6fe27fc6913d3494e9840f892.jpeg?width=1200)
おっしゃるディスタンス。
ナイナイ岡村の発言を問題視した件。
批判した彼の本も何冊か読んでますけどね。
「なるほど」と納得させられるものはある。
ただ、今回のアクションは、どうだろうか。
本人以外の人が岡村の発言を持ち出して、
ちょっとインパクトのある方向へもってった
という可能性もあるが。
本人か制作サイドなのかはわからないが、
「おっしゃるディスタンス」の意識。
ココに気づけているのかどうか。
少なくとも距離感がわかった文章では
なかったような気がする。。
最近の若い人を中心に多いのが、
この意識ですね。
そこいっちゃうと後々、
バランス崩れるよっていう。
うまく表現できないけれど、
そこまでやっちゃいけない
という暗黙のラインの距離感みたいなもの、
あるんですよ。
可視化して正論で突破されるだけの、
十分な非がある。
しかし、攻めるのは気持ちいいが、
全体がギスギスする。
あえて言わない、という後々の意味を
理解しないままに発信者の地位を得て、
言ってしまい、広まってしまう。
ここはね、論理的に正しく突破するのは
可能なんです。
彼にかぎらず岡村を責め立てるのは
簡単なんですよ。
でも聴こえはいいけど、
誰もついて来たがらないのでは?
おそらくこういう活動者の路線ってね、
世間の大多数は、正しくいいことだとしても
乗っかってこない人がほとんどなんです。
やってる本人らは一生懸命なのに、
なぜなんだ?
そうそれなんです、
逆にそれがダメなんです。
それは失敗が許されない、
正しすぎて息苦しい
そんなイメージがつきすぎているから。
正論が息苦しくて、リラックスとは程遠く、
やっている本人が楽しくない。
結果、長続きしない。
お互いが心底腹かかえて、
くだらないことで笑い合う瞬間って
何物にも代えがたいでしょ?
正しくやることによって、
楽しさやワクワク、そして困ったときの
普通の人たちの逃げ道を、
無意識にふさいでしまっているから。
だからいつまで経っても社会貢献的な活動が
本当の意味で根付かないし、
人を心底動かせない。
自主的に動くのと、
人を力で押しながら動かすのと、
どっちがいいか。まぁこのネタはいいや(笑)
でね、実際の岡村のラジオの該当部分を
聴きました。
お笑いの分野、ノリで、
面白おかしくやろうとして
双方が楽しんでやっているだけで、
ホンネは違う。
こんなことホントに言うのは
サブイんですけどね(笑)
ホンネのマジメな部分って
ほとんどの人間は、
あえて見せないんですよ。
伝わるか微妙だけど(笑)
楽しい空間づくりを
参加者、リスナー含めた全体が
言われなくても意識してると思うんです。
下ネタは笑いが取りやすいですし、
乗っかりやすい。
共通の言語みたいなニュアンス
あるじゃないですか(笑)
たぶん、そこのコミュニティの空間での
振る舞いや、立ち位置、距離感っていうのを
ラジオのなかでみんなが意識して
楽しいものにつくり上げていこうとしてる。
ワタクシは普段、ラジオは聴きません。
でも悩んでいる人、うっぷんを抱える人が、
芸能人とコミュニケーションをとりながら、
時にはふざけて、ハメを外し気味にする。
それはあくまでもその空間だからであり、
普段の生活では、社会人的な意識と
常識人としての距離をとって
生きているんだと思うんですよ。
でも、そこはあえて言わないんです。
言う必要がないとわかっている人たちの
コミュニティ空間だから。
だったらそこは閉じた空間でやれよ、
というのはもう粋じゃないでしょうよ(笑)、
あまりにフトコロ狭い。
ヤホーに載っていた
活字で切り取るニュアンスとは
まったく違いますよね、
ラジオで話す感じは。
そんな感じで話していないのが
本人の音声からは伝わりますから。
字で伝わる印象って違うんですよ。
読み手自身の脳内の聴き取れない音声で
私たちは読んでる。
これはね、気に食わない文章とか、
先入観があるとその感覚のまま
脳内で読んでいるんですよ、きっと。
だから、岡村本人が
しゃべっている音声を聴くときと、
私たちが同じ内容を文章で読むときの
感覚って違うんです。
極端にいえば、岡村の声のトーンと
まったく違うちょっとイライラした
自分の声のトーンで読むと
同じ内容でも違うでしょ?
こういった距離感を間違えてしまうと
厄介なんです。
間違ったニュアンスで記事が
他者に伝わってしまう。
そして他ジャンルで踏み込んだら、
ややこしくなるだろうなぁというところへ
あえてツッコミ入れたりしない感覚。
お笑い芸人はそのあたりの
対人感覚が優れていますよね。
今回もそこを茶化しながら、
面白おかしくやるでしょうね(笑)
決して対立構図はつくらないでしょう。
それは互いに損するとわかってるから。
「お前、そこまたぐなよ、またぐなよ!」
という長州力の名言?からもわかる
(知らん人のほうが多いか、笑)
要らん不具合や不快感が起こる距離感。
毛色が違う分野が、首を突っ込んで
いいところ悪いところ。
入っていくとお互いに得しないのを
わかってるから
距離を保っていくべきなんだぞ、
という暗黙のルール。
お笑いが普通にわかる人ならば、
トーンの違いで
本気で言っているときと、
ふざけて言っているときの
聞き取りはできるはずなんですけどね。
だから誰彼構わず、かみつくのではなく
距離をとる場合も、
あえてスルーしていく場合も必要だと。
そこまで踏み込むと
潮目が変わってしまうよ?と。
コーナーに送られてくる質問内容は、
言ってみれば悪ノリで楽しむ遊びですよね。
スタッフの笑い声もバカにしてはいない。
なんなら岡村自体を笑っているだけだから。
(それも言わないとダメなのはさみしい。)
岡村自身は冷静に分析しつつ、
新型コロナの現状を踏まえ
どうしても風俗へ行きたい人は
出てくるけど、いまはガマンしよ!?
ってメッセージだと思いますよね。
笑いを交えた。そこが曲解されてしまう。
なぜ笑いを交えるかといったら、
そのほうが相手に伝わる
コミュニティ内でのやりとりだから。
全部マジメに伝えると相手に全部伝わる
と思っているのは間違いなんですよ。
全部を救うことはできない、
仕方ない部分はあるとしながら、
バカにしてるとか卑下してるとか
ではないんですよ。
そこを笑いを交えて話すのを、
部外者が言葉狩りするかのように
してしまうのは、あまりにさみしい。
あまりに不寛容すぎる流れができてしまう。
ソーシャルディスタンスっていうけど、
この距離感「おっしゃるディスタンス」も
忘れかけている世代が出てきてる。
正しさだけじゃ救えない、動かせない。
そのハイブリッド型が必要なんでしょうね。