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太陽のような人。


よく、あの人は太陽のような人だ。

みたいなことを言う。


太陽のような人に

なろうとする人が少ないのか、

なることができる人が少ないのか。


自分以外の他の人や物事のために

自らのエネルギーをつかえる人。

おおむね、そんなイメージの人。

少なくなったなぁと感じませんか?


有形無形のさまざまな恩恵を授けるような。

有象無象をも取り込んでしまうような。


いまの時代はみんな太陽になることを

避けているのではないか?


みんな他人を出し抜いて

うまくやろうとしてる感じが強くて。

発する言葉もこころがなくて。

上っ面感が強くて、こころには

何重にもパスワードがかかっていて。


自然な感じで太陽になる人が

社会で育たなくなった。

それを誰も止めなかった人間も悪いが。


人工の光を浴びすぎているからか?(笑)

人類はそのうち疑似太陽をつくるのか?


自然にかえる、とよく言うけど

太陽の恩恵を受けることは

私たち人間にとっても自然なこと。


自然と太陽は、切り離せない関係。

私たちが自然とつながりながら共存するには、

人間が太陽のようにならなければ。


自然は太陽であり、太陽は自然である。

人間もまた、実は太陽であるのだと思う。

自然に対しても、人間は太陽として

振る舞うような行動を忘れずにいたい。


同じ世界を分かち合う人々に対しても、

太陽であることを忘れてはならない。


ここまでくるともうよくわからないが(笑)

要するに、人間も自然と歩調を合わせないと

共倒れになってしまうよ、ということ。


数多の自然災害や温暖化の影響、ウイルス。

すべて人間の「悪さ」が原因である。

悪さをするの、悪さ。

ここまでやって大丈夫、ってのを

限度を超えてやりすぎて、

そのままやり過ごしている。


自然界からの十分すぎる警告を

受けているくせに聴こえないふりなのか、

はたまた、ホントに耳が遠くなったのか。

一向に、まとまる気配はない。


人工物でつながることではない。

そこばっかりいくけどまったく逆。

私たちに求められているのは

テクノロジーの進歩ではなく、

テクノロジーを操る人間の制御。


なんでも揃う時代に、

カギになる人がいま、つくれない。

逆につくりづらいというか、

社会で揉まれながら修正がかけられ、

人を変えてしまう。


かつての太陽はまだ生きている。

昭和を知る太陽たちはそれぞれ

晩年を迎え、どんな気持ちだろうか。


現役の太陽が隠れていく時代を、

どう感じているのだろうか。

怪奇な日食になってしまっている現状を。


ワタクシの母はそういう意味では

昭和生まれの、太陽のような人だ。

身内であることを差し引いても。


この時代、このご時世に

誰にでも声をかけ、話しかける。

人が何故か頼りにしたくなり、

不思議と周囲の人が集まるような人。


意外と声かけられたら話す人って

多いんですよね、ほんとは。


不干渉な空気感が強い世の中だけど、

ほんとは、話したいんです。

他人であっても。みんなね。


でもどこかで人間が変わってしまって、

何するかわからないという警戒感が

互いに強くなった。


システムに身を潜め、こっそり暮らす毎日。

特に年配になればなるほど関係も

疎遠になり、塞ぎこんでしまうことも多い。

声かけひとつでさえ、なんか遠慮してる。


そんな母はお人好しで無下にできず、

かといってセールスや勧誘には

鼻息が荒く、ケンカ腰になりながら

断固として強気に攻撃的になる(笑)


人を守り、助ける「もう一歩」を

易々と、ごく自然にしてあげている。

この一歩ってなかなかできない(笑)


ワタクシはやっぱり、ひいき目無しで

こういう人は必要だと思う。

そしてまだ、居るはずだし、要るはずだ。


何事もキレイに手際よくやれない母だけど、

逆にそこがイイ。人間らしい温かさを放つ。


うまくやろうとしなくていい。

うまくやろうとするから遠のく。


学ぶことがたくさんある太陽のような人。

ちまたには、たくさんいるんです。


私たちが不干渉を気取ってるだけで

分厚い社会の壁のような、どす黒い雲に

遮られているだけで。


デキル人だけを、集めてつくる社会は

おもいっきりカッコワルイ(笑)

デキル人たちは、どうしても

デキナイ人をさげすんでしまう。


あるいは、デキナイ人のほうが

勝手にフィルターをかけてデキル人を

見てしまうこともあるだろう。


でもそれは、デキル人が端々に

チラつかせているからだと思う。

そういう優越感を捨てようとはしない。


雲のスキマから輝く太陽のような人が

自然に自らの太陽を引っ張り出して

温かく、ゆたかな温もりに

包まれるほうがしあわせな気がする。


あなたは太陽のような人に

なれるだろうか。なりたいだろうか。

ワタクシは太陽のような人で

ありたいと、なりたいと思う。


自分のことだけ考えるような、

ひとりにひとつの、人工的な太陽に

囲まれる人生だけにはしたくない。


そういう人間にならないことが、

ワタクシが母に応えてあげられる

一番の親孝行なのかもしれない。


太陽のような人を世代を超えてつなぐ。

それこそ、私たちの一番のゆたかさになる。









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