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誰が「ふてほど」かは明らかだ


笑ったなぁ、今年の流行語は

「ふてほど」ってあのトーンで笑


制作側もいっさい言わない  

呼び方ふてほどを祭り上げて

恥ずかしげもなく大賞にする


来てくれる前提で選んでたとしか

思えない選択でしたよ、ホントに


結局、ユーキャン側の思惑に沿う

カタチを選んじゃった「ふてぎわ」


そもそも流行語の選考委員の意向は

違うだろうとにじみ出てる選択でね

企業のプランニングとして表彰して

授与式をしたい欲を優先したんだろう


大谷は来るはずもないし、それでも

流行語として全体的に適切だと思えば

大谷の50ー50で何の違和感もない


でも授与式に来てくれないと賞の意義

体裁が悪くなると考えたからでね笑


どちらの意識が「ふてほど」なのかは

明らかだなと、恥ずかしいにもほどがある


コレばかりは例外を認めたがらない

日本式の結果的なミスだろうと

直感的に思ったが、おそらく

ほとんどの人がそう感じただろう


こんな事をやってしまうのが日本人

らしい行動や心理なんだよなぁと


視聴者は素直に大谷の50ー50

でも来てくれない相手には賞を

あげられないと思い込んでしまう


選考委員にはそこまでの権限はないし

主催者が言うなら仕方ないくらいの

妥協点が見えてくる結果ですね


不適切にもほどがある、にすると

流行語としての体裁が悪くなるし

ならば、メディアが勝手に使った

ふてほど、にするしかないみたいな笑


賞全体の意味を失うほどの「ふてぎわ」

賞そのものと世間的な納得の着地点を

大きく間違えた失敗、失態だなと思う


こんなもんなら無くしてもいいし

そもそも賞を通じてどう見えるか

そこの視点の違いがあるんでしょうね


私たちはこの賞を通じて世相や世間で

今年起こった出来事を振り返りつつ

そうだなぁ今年はこういう年だったな

っていう今年を振り返るのだから


ユーキャン側はそこも見ないではないが

賞を授与式としてどう伝えたいかの

パフォーマンスを重視してしまってる


だから世間とズレが生じるんですよね

コレをあえて世間の見方に合わせて

授与式には参加しなかったとしても


表彰するくらいの融通が利くところを

見せたほうが賞自体の評価は上がった

かもしれないですね、おそらくは


企業の中にいると企業の論理しか

見えなくなるような典型的な出来事

まだまだ全体を見てさすがと思わす

決断は日本人には無理なのかも?笑





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