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話してくれてありがとう。


ダチョウの上島。

竜ちゃんが亡くなった。


迷惑をかけることには

数種類ある。

少なくともひとつの意味

だけではない。


自分が相手にかける迷惑

想像がはたらきすぎると

相手にとってすべて迷惑と

とらえてしまう。


話してくれればという

あとの祭り、後悔先に立たず。


でもやっぱり話せない人も

多いことだろう。


迷惑かけたくない気持ちも

頼ったら負けみたいな気持ちも。


話してくれてありがとう。

相手がそう言ってくると

事前にわかっていないと

なかなか話せない。


話してくれてありがとう。

こう言える人だと相手が

認識できる人に、私たちが

互いになっていければいい。


私たちがお互いにできることは

話してくれる人間関係を

意識的につくることだろう。


逆にそうしなければ

ならないほど隔たりが

できてしまっているのだから。


専門家やなんかに任せっきりに

なんでもしてしまう風潮も

人との関わりが薄くなり

距離ができてしまう。


悪のソーシャルディスタンス。

うまくやろうとしすぎては

逆にうまくいかなくなる。


話してくれていい人は

いまでもたくさんいるはず。


でも相手が遠慮してしまう

負担をかけたくない気持ちが

強く、強くなりすぎてる。

その雰囲気が醸成されてしまった。


こういう知らせは何故か

意図せず新たな呼び水に

なってしまうことがある。


以前も書いたが戦争報道を

すればするほど、その時間が

長ければ長いほど何故か

良からぬ方向へ意識も向かう。


人間は情報に左右される。

正解だと信じたものが

不正解だと言い続けられると

正解だと信じ込んでしまう。


話してくれていいんだよ。

お互いさまだから。


話してくれてありがとう。

恥でもない、遠慮もいらない。


迷惑であるわけがない。

それで互いに強くなる。


ブザマだろうが

情けなく思われようが

与えられた命ある限り。


お互いに寄りかかろう。

その方が立っている力は

強くなり、負担は軽くなる。


人間は強くみせようと

完璧にやろうとしすぎた。


武器を持って身構えても

まるで強くなれないのが人間。


武器こそが逆に

弱さの象徴となっている

それすら気づけぬまま。


弱さを認めた自分が

一番強いのだということを

忘れてはならない。











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