大みそか感覚。
笑う大晦日。
録画でしたが
観ましたよ。
演者も客も司会もスタッフも。
みんな、緊張してたのかな。
生放送だからかな。
バタバタ感が伝わって
それを笑いにもできずに
客もいまいち乗れずに終わった。
みんななんか、やるべきこと
役割ばかりを意識していて
自分自身であまり楽しんでなかった。
遠慮し合うと笑いも半減するし
盛り上がりにも欠けてしまう。
いろいろ気にすることが多すぎた
そんなきらいもある。昨今特に。
コロナ対策とかソーシャルとか
ほぼ形骸化したルールを
頑なに守ることで冷めることもある。
私たち視聴者もなんか
ぎこちない感じになってしまう。
すべて流れが悪すぎますよね。
まず、声張れる人がいないんですよ。
これってスゴイ大きいと思う。
やはり、大人しめに感じた。
せめて今田、東野あたりが欲しい。
必要以上に声もテンションも
リアクションも大きい人間がいないと
盛り上がってこないんですよね。
素人が何を言うか!でしょうけど(笑)
全体を通して伝わってきたのは
人材が欠けたことによる迫力の無さ。
笑って盛り上げる感じもなく
淡々とした印象になった。
VTRコント以外
ずっと出ずっぱりだった
バンセン・高畑充希。
彼女が最後に関西弁でブチギレて
MC陣を説教するって流れがあれば
最高に面白かったのに(笑)
できない演出ではなかったと思う。
この裏切りは絶対面白いのにねぇ。
彼女も堅いし、緊張感とマジメさで
重い雰囲気になってしまってた感も。
それが最後のオチへのフリだったら
ものすごいキレイに終われたのに(笑)
一番面白かったのはVTRコントの
ケンコバと長州、武藤、浜口京子
あぁ、これだ。と感じた。
求めていた、大みそか感覚。
この「大みそか感覚」は
「笑ってはいけない」の感覚。
私たちは慣れ過ぎてしまって。
どっかで、笑ってはいけないと
比較して観てる大衆感覚こそ
長年、飼い慣らされた私たちの
大みそか感覚なんですよ。
「笑ってはいけない」が
浸透しすぎてビチャビチャに
なってしまってたんです。
この感覚を今回も求めてしまった。
だから批判も大きく
違和感が強めに揺れ動いてしまう。
今回はやっぱりどうしても
お笑いではなくて、単発バラエティ。
それも寄せ集めた春秋の特番レベル。
大みそかの大型特番という
レベルには達していない。
視聴者もちょっと
危険なバラエティから
遠ざかっているから慣れてないし。
あれだと笑えるところで
素直に声出して笑えないんです。
コロナ対策を守らせることで
死ぬ笑いもあるんですから。
今年は結局、大衆の慣れと
作り手の意図のズレが
大きく出てしまい全体として
フワッとしたまま終わった。
もっと意図的でも構わないから
笑って盛り上げても良かった。
明らかに近年のバラエティ番組は
萎縮させられてしまってますよね。
いろんな声を聴きすぎてしまって
背骨抜かれてしまったような感じ。
ダウンタウンってやっぱり
昔からすごかったし、すごいんだな。
生放送でも最近の「お笑いの日」含め
これまで何度も大型特番や
生放送も観てきましたけどね。
声を張るし、ちゃんとハメ外すし。
笑いどころを自分たちでもつくるし。
エネルギーがちゃんと伝わる。
それが大きいんですよ、きっと。
番組全体をお笑い番組として
グッと持ってこれるチカラが
強力だったんだとわかります。
そこまでやりきるまでには至らない
萎縮してしまう世代をMCに起用。
もっと壊していいと思うけどね。
大悟が高畑の髪の毛を触った瞬間
やっちゃいけないことをしたのを
客が見て引く、アレがいまのテレビ(笑)
あそこで笑える空気にできなくした。
誰演出やってんのかなぁと思ったら
「高須」って出て。ガッカリでしょ。
もっと振り切ってくれよ(笑)
一番カッコ悪いグダグダ感を
残した罪は大きいんじゃないの?
ダウンタウン、どう思うんだろ。
改めて見えないチカラの差
みたいなものが浮き彫りに
なったと感じましたね。
来年は企画はともかく
ダウンタウン待望論が
より強くなってくるでしょうね。
できることならダウンタウンに
ムチャクチャにやってほしい。
僕らのかわりにハメ外してほしい。
そこで僕らは、厄払いできるから。