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用心軽誤の姿勢。


今回の安倍さんのこともあって

要人警護は変わるんでしょうね。

現役でも元◯◯であっても。


「用心軽誤」でしたからね。

用心するのを軽くして誤ってしまった。

謝って済む問題じゃなくなった。


いまは予算度外視でとにかく

そういう人を出させないようにと

躍起になるはずで。


とにかく本気度を引き上げるから

プレッシャーかかるでしょうね。

大衆はそれを物騒だ、で片付けるが。


日本ってね、ちょっと安定すると

慢心するのが定番みたいになってて

そこを狙ってくるヤカラがいるけど

現実にならないと信じないというか。


実際に襲撃されて大きな事件となって

なおかつ、大きな犠牲が発生しないと

習慣やルールを動かそうとしない。


言われてみればの結果論で当てはめる。

甘かったとか、言いたい放題されて。

そりゃそうでしょう、なんとでも言える。


でも最初からそうすること自体

人件費がとか、税金がとか

違う角度で揶揄されてしまう。


できない理由を固めすぎた原因も

結果論で揶揄する側、とも言える。

これはちょっと飛躍しすぎか笑


用心するに越したことはないと

警護する側は思っていても、ですよね。

予算がとかルールがとか、彼ら自身では

どうしようもない壁が。


その板挟みの部分もあるんでしょう。

容易に想像つくことだと思います。


その想像つくことを私たちは

他人事にして想像しようとしなくなる。


そして結果そらみたことかと

責める発散、快感だろう。

こんなことで発散させる

しかない現実。現代人。


結果を見て、こうできたと言うのは

人間であれば誰しもそうしたがるもの。


当然、そんな事件が起こる前だと

起こるか起こらないかわからない

そんなものにムダなお金をかけるな!


自分たちは切り詰めて生活してるのにと

大衆レベルでは自分基準で思いますから。


この感覚のズレは事件前には

どうしたって埋められないものです。


今回、このひとつのミスのように

取り上げられてる部分には

日本人のいろんな側面が隠されている。


ルールを守ってたら責任回避。

ルールに疑問があってもルール順守。

局面で瞬時に判断できない、しなくなる。


予測しうる範囲が狭くさせられても

未然に対処する側面がありながらも

でも何か起きるまではルーズにする。

でも起こったら責任取らされる矛盾。


ルールがあればとりあえず従っておく

そのスタンスを無意識に取るから。

実際、それしかできないから

想定外でなくても、想定外にしてしまう。


しくみが悪いのは自分の責任じゃない。

だからいくら訴えてもルールで跳ね返す。

あまり考えても仕方ない、って方向にいく。


本来はその都度、その都度考えてみるべき。

予測に対して、可能性に対しての責任を

誰も取りたがらない、逃げたがるしくみ。


既存のしくみに対する依存と逃げがあって

日本は変化が起こりづらい社会になった。


想定しうることを想定しなくなるような。

ルールを固めすぎると人の思考も固まる。

思考が行動に影響して、意識も封じる。


処理的な感覚、流れ作業的な感覚で

ルールを、サッとお湯にくぐらせるように

ホントに軽く作業的にあてがって

一度、形だけ考えたことにする。


うどんならぬ、愚鈍(うわっ笑)


ちゃんとやっておかないと

こういうこと起こるよ?と

みんなわかっていても忘れるし

結果的に起こらなかったことが

日常化して頭の中を支配するから。


時代に合わなくても既に決めたことは

なぜか絶対視する、その勝手な理屈を

結果論で押し付けあってるだけ。


問題のコンポンは違うところ。

ルールを運用するのも変えるのも

いまの私たち、生きてる人自身なんです。


それでもルールの陰に隠れたがる。

その姿勢を変えずに来ただけです。


安倍さんがやられた責任は

予測や可能性に対する全体の慢心。

慢心につながる社会のしくみ。


ルール順守での責任回避。

言われたことを言われたとおり

やっておけば責任は回避できる。


法律やルールをなぞっておけば

あとは考えようとしなくなる。

その結果起こったことでもある。


何も起こらなかったからといって

いつまでも続けるのはしんどい。

何も起こらない=結果、ではない。

「経過」なんですよ、その時点では。


それは永遠の「経過」であり

その都度の「結果」の積み重ねを

続けていくしかないんです。

他の国はそうしていると思います。


さまざまな格差が拡大していくなかで

武器やなんかが簡単に手に入るという、

昔とは状況が変わってきているのに。


物騒なことは起こさないと、どこかで

まだ日本人全体が人を信頼している

かもしれませんけど、難しいところで。


私たちは意識が昔のままで止まって

経過時点での、結果だけをみて

その経過がずっと続いていくと

飽きてくるんです、仕方ないですが。


ただ、想定しておくことで事件を

防いでいるという効果を見ないで

何も起こらないという結果だけ見る。


想定して防いだ効果を評価しないで

ここまで来たから、なんですよね。


大衆の意識の中でそういうことは

他人事で済ませてしまっているけど


社会全体を不安にさせないために

想定して防ぐための行動は、結果として

自分を守ってくれている。


ということに意識として繋げにくい

思考をしてしまっているんですよ。


こういうことをちゃんと議論して

理解するように全体に促さないと

守っている人だけがツラくて

責められるばかりになってしまう。


大衆の意識の持ち方にも

責任の一端はあるのではないか。

ワタクスは警備した彼らを安易に

責めるのは違うだろうと思いますよ。




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