解説社会と次のステップ。
解説色が強くなった感。
世の中も、メディアも。
みんながそうなのかも。
解説して多くの人に
もっと知ってほしいと。
しかし、私たちだって
別にいまの段階で
知らなきゃならないことでも、
知らされたくないこともある。
知らされない権利を
奪われているようにも思うが。
そんな感覚、皆さんもないだろうか?
あれもやって!これもやって!
って各自のタスク処理が増えすぎる。
そんなにできねぇよ(笑)
不思議に思うんです。
ひとつの情報を広めることによって
双方で得ようとしているものは
何なんだろうかと。
納得する意見=簡潔で完結する答え
を欲しがっているのだと思う。
そして、納得してそこで止まっている。
言い切りの形で終わりを迎える。
納得、共感。そして次は?
次は何もないよ(笑)、というでしょう。
たぶん、その次を意図してやっていない。
情報のやりとりって結局、そこで止まる。
Aです。そう、Aだよね。(→???)
Aです。いや、Bだよ。(→???)
それぞれ、そこで終わってしまう。
Bだと反論されても、そこから先は
ややこしくなるからと
そこで止めてしまうことが多い。
みんな次のAを待ってしまう。
このサイクルを繰り返す。
ワタクシも書きたくて書いている。
それは考えていることを言葉にして
どこまで伝えられるのか?
ってことが純粋に面白いから。
ただ、もっと次をみてる。
人が次を意識して動くことを。
こうやったらうまくいくかも?
みんなで考えようよと。
もちろんお金になってくれる文章なら
それはそれでうれしい。
しかし、ライターということではない。
たとえば作家や評論家など、
メディアを通じて意見を打つ人がいる。
彼らは書く仕事やしゃべる仕事が
メインになり、いいことを言えば
そうだよねと賛同を得られたり、
あるいは中傷されたりもする。
そして書籍を出して、購入して
読んでもらうというビジネスに向かう。
本人の意図にかかわらず。
いつも思うのは、書籍を出して
それを読んでください、
あとはみなさん各自で感じたことを
それぞれの人生で活かしてください。
みたいなもので、
そこから先はあなた次第。
っていうところで、切る。
もっとやり方がないだろうか?
意見を打つ、賛同する、あとは各自で。
いやいや、そっから先どうする?
っていうのがずっと必要なのに。
意見、納得、止まる。
そうではなくて、
意見、提案、参加、始動、修正、再始動。
じゃあどうする?っていう
ステップになった途端に
そこから先、誰も結果を出していない。
結果を出すのが難しいから
やらないというのが、一番の理由だと思う。
この「次のステップ」を
誰もやってないのでは?
ただ、誰かがやっていたとしても、
多くの人には伝わっていないということは
その意見、納得、止まる。
というところで留まっているのと
変わらない。
そのために大事なのは、
結果を提供しないこと。
納得する終わりを提供しないこと。
いまの時代の真逆です(笑)
言ってみれば、言いすぎずに
自主的に考えて行動する気持ちを
起動させるような、
考えるキッカケを提供することが、
いまの社会には重要だと思うんです。
最初のうちは苦労するとは思う。
なかなかこの気持ちを起動させるのは
難しいことだから。
ただ、一度その気持ちの動かし方を
経験して繰り返せば、
それこそオートマチックに
次のステップを作動できるように
なるのかもしれない。
ワタクシが書く上で意識するのは
きちんとした文章とかスキルとか
あんまり気にしないで書くこと。
それはやっぱり、完結させてしまうから。
批判を受けないようにとか、
間違って解釈されるリスクを回避するとか
そっちにいくと現代社会の闇にハマる(笑)
逆だと密かに、思ってるんです。
ニュアンスで書いたほうが
感情が伝わりやすくなるし、
人間って想像力をはたらかせる。
学生時代、国語や現代文なんかで
作者の考えていることを、
捕まえさせるような問題や教え方、
あったの覚えているでしょ?
アレと同じだと思うんです。
そして言葉で伝わりづらいけど
なんとなく伝わるニュアンスって
案外、未開発な広がりがあると
思っているんですよ。
これで他の人とは、ちょっと
違いが出るんです。イロが出る。
そしてなんとなくわかる、
というところ。
この出発点を提案してみる。
そのキッカケだけでいい。
文章なんかヘタでいい。
知識なんか、入れすぎると
自分の文章じゃなくなるワナだから(笑)
あとは、自分で考えるほうへ
自分の脳や行動をシフトさせるイメージ。
ここの動かし方、起こし方がポイント。
自主的に考える意識を持った状態で
人が互いに協力しあいながら物事を進める。
このステップに進めていないんですよね。
結果を知って納得したら、
人間、興味を無くしてしまうでしょ?(笑)
勢いや流れが止まってしまう。
大事なことは「教えすぎない」で
自分で気づかせることなのではないか?
ここまでくるとわかりますよね。
最先端の技術は、みんな答えを教える。
簡潔で、完結させる答えを提供する。
私たちもいつのまにか、
答えがすぐにわかって便利でラクだ。
その流れに取り込まれ、納得して生きている。
だからこそ、アナログ思考がカギ。
自分で考えて、行動するスイッチを入れ
次のステップをつくる。
そしてその先へ。
前回、書いた「働かない改革」でも
国が整えたとしても、最終的に大事なのは
ひとりひとりが次のステップのために
自主的に入れるスイッチの探し方。
おそらく自分で起動させるスイッチは
未開発な自分とリンクしているはずです。
(注)根拠のない個人の見解です(笑)