ふだんどおりにしたくて。
すべてはここに原因があるのか?
「普段どおりにしたい、維持したい」
「できていたことができなくなる不安」
「持っておきたい、無くなるのがイヤだ」
たしかに持てる者は、持たざる者より普段は強い。
ただ、持てる者は現在の積み上げたレベルを
維持できなくなる事態が生じたときは不安が爆上げする。
持っておくことで安心を得る心理は、人間に共通する真理。
買い占めたくなるのも、危機に乗じてビジネスを展開するのも
・・・なんと形容したらいいのだろう?
これだけ多くの人が世代をいくつ重ねてもダマされてしまう。
ふだんどおりにしたい人たちが、ふだんどおりじゃなくなる。
ふだんどおりじゃない状況を自ら招いてしまうのだから。
ものすごい皮肉なものだなと思う。
持てる者は我先にと、自分の富を確保したいと動く。
人によっては独自のルートで優遇を得るだろう。
タイやヒラメが舞い踊る竜宮城ならぬ、優遇城へ。
持たざる者でさえ、「わずかな期待×競争率」で生まれる
負のエネルギー(自分さえよければ)を充填させる。
日本人はそこに社会全体からの見られ方を気にするから、
つまり、世間体という強力なカセが効いているから、
東日本大震災での混乱は抑えが効いていたのかもしれない。
混乱に乗じた略奪等もあったのかもしれないが。
全体としては、世界にはまだ一目置かれる冷静さがあった。
あれから10年ちかく。
当時の状況と違うのは、技術の進歩がもたらす
「情報の感染力の速さ」と「整えすぎた日常への依存」
だと思う。
非常時とわかっていながら、なんだかわからない流れに
飲み込まれていくような感覚はないだろうか?
そして整いすぎた日常生活、思い通りにできる生活。
日常のスタンダード、あれもこれもできるという基準。
いきなりその日常の基準が叶わなくなり、敵わなくなったとき。
人は不安とストレスを増大させ、情報を乗じて加速させる。
よく一定の周期で地震は起こるという。
3.11のあとも一年後とか地震があった。
この緊張の糸が張り詰めたなかで首都直下型地震が
来てしまうとどうなってしまうのだろう。
もしかしたら、まだ日本人は大丈夫と思っている
ガマンの限界を超えてしまうのかもしれない。
不安をあおるわけではないが、
こういういまの状況よりもひどい状況が生まれ、
ちゃんとしないと整えていないと許せない日常を
潜在的に引きずり倒している私たちは
ちょっと特殊なマインドセットを
ほどこしておかなくてはならないのかもしれない。
あえて冷静に。あえて不便に。あえて他人に。
私たちが通常の意識ではいられなくなるとき、
あえて真逆の行為が必要になってくるのではないだろうか。