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浮遊層を起動させるために。
ネットニュースなどをチラ見すると
ヤフコメなんかがどうしても
目に入ったりするんですが。
朝、ワイドショーでも話題だった。
前から書きかけていたので
仕上げてみようと思う。
あなたはいったい何をされてる方なの?
っていう人が四六時中なんらかに
コメントをしている。
文体などから明らかに
中高年以上が多い印象も。
いろいろ、別の狙いや目的で
書いている人もいるんでしょう。
彼らの承認欲求なんだろ?と
切り捨てるだけだと
何も変わらないだけで
年をとるだけの構図。
中にはおそらく社会から
脱落してしまった人も
多くいるのかもしれない。
そちらの側の人にちょっと
フォーカスしてみようと思う。
彼らはいつか、何もできずに
社会的弱者になってしまう。
そうなると社会全体の負担が
増すだけで何も変わらない。
苦しくなる波で、より浸食して
格差が拡大していくだけ。
彼らはホントは何をしたいのか。
したかったけど、できなかった。
したいけど、届くまで果てしない壁。
時間とお金、年齢、体力など
失ったアドバンテージが大きすぎて
もう追いつかない、戻れないんだと。
そういう人をどうしたらいいのか。
ただ言いたいことを書くだけで
いいねボタンをもらうだけ?
死ぬまでやり過ごすだけだろうか。
たぶん何もできなくなった自分
活躍の場がない自分など
抱えてる状況はそれぞれだろう。
浮上のキッカケがうまくつかめない。
高すぎる競争率、大勢で一つの椅子を
争うだけでは明らかに効率が悪い。
こんな待ちの人が大勢いると思うんです。
これは成功している人には
どうしても気づきにくい視点。
でも動かす側の視点が高いから
互いの気持ちのズレがあって
なかなか解決しない問題でもある。
しかし彼らは彼らで単純に
あきらめているわけではない。
挑戦する場もなく、サポートも
うまく届かず、やりたいことに
届かない自分と社会のはざまで
もがいているのだと思う。
社会問題として彼らを生み出し
放置してしまった責任もある。
人口増加とともに少子高齢化。
現状のシステム維持がはたらく。
椅子が少なく、空かない。
椅子を譲らないまま既得権益を
守り続けてしまう人間のサガ。
いまの運用ルールでは何もできず
浮上のキッカケもつかめず
ネット上に浮遊している。
そういう人が潜在的に多いのでは?
仮に「浮遊層」と名付けてみる。
ワタクシも似たような立場に
あると自覚している擬・浮遊層。
機会の有無や環境で大差がつき
容易に盛り返しできない社会。
特に日本ではレールに乗れたら
その人の才覚の差があまり問われない。
大半の人にとってそういう社会なのだ。
しかし誰かに道筋をつくって
それに乗っかるだけでは
根本的な解決には至らない。
既得権益者たちのサガがはたらく。
こんな風に学んで経験を積んで
私たちに従ってくれれば
頑張れば、いずれ叶うかもよ?
いや、それじゃ叶ったところで
何も成せずに老いて終わってしまう。
ワタクシも含めて彼らには
人生を立て直して世間一般と
同じ人生プランを描くことは
もう、できないのだから。
時間的にもう間に合わない。
彼らには自分がしたいようにして
自分で再起動をはかり、それぞれの
尺度で残りの人生を歩むしかない。
そうなると必要なのは
最後のチャンス、チャレンジを
あくまで自分主導で動かすために
経済的援助と不公平にも思えるくらいの
優遇措置を、国がサポートすること。
そうすれば自らで起業したり
同じ境遇の人が集まり
協力し合って起業したり。
いろいろ選択肢が増える。
チャレンジする機会がこれまで
圧倒的に少なく、不足している。
そのぶんだけ、自我も強くなる。
プライドも高いだろうし、
いやなことがあれば逃げ出す。
だからこそ、やり方に工夫がいる。
甘えるな、という論理と違うところ。
別のアプローチでやる気をうまく
自分でコントロールできるように
ならないかぎり
いくら周囲が用意してやっても
モチベーションが続いていかない。
機会が得られなかっただけで
あらゆる才能をまだ活かせていない
そういう人、チャレンジできずに
ズルズル来た人が多いから。
安易な発想ですくい上げようとする
やり方がイマイチで心に刺さらない。
うまく引き上げて上げようとするが
その同じやり方だからこそ
相手の気持ちを起こせない。
お互いの気持ちがかみ合わない。
昔話なんかでもよくある話。
ホントに悪いオニは、実はいなくて
ほんの少しの気持ちの齟齬みたいな。
寂しい気持ちや、自分を
わかってくれない周囲の環境など
相手が不義理に扱ったり
嫌ったりするから余計に反発する。
分かり合うという気持ちを
互いが持てる瞬間があれば
歩み寄れたりする部分がある。
ホントはこうしてほしかった。
こうしてくれるだけで自分も
もう少し相手にやさしくなれた。
そんな些細なことが昔話では
教訓として教えてくれてたり
解決のカギになってたりする。
なんとなくイメージできませんか?
人間が気づきにくくなって
互いの距離が離れてしまうが
ほんの少しの歩み寄りで
解決できることがあるんだよと
示唆しているのだと思う。
昔話で伝えたいこと。
人間の心のオニは、
自らがつくり出して
互いに大きくさせてしまう。
そうやって互いの心がズレて
離れてしまうことが生み出す。
浮遊層に対して大胆な
優遇措置があるならば。
末端で搾取され続けて
生きていくよりは。
どうせ変わらないなら。
だったらやってやる。
最期にチャレンジする意欲も
湧いてくるはずだ。
チャレンジできる人生は
どれだけ日々に活力を与えるか。
目的のない、なけなしのカネで
人生は豊かになりはしない。
大事なのは、
こじれた人たちと順調な人たちを
あえて、平等に扱わないこと。
彼らを救うためには平等を敷くと
どうしても最初の苦しさから
また逃げてしまう可能性が高いから。
こうやって、こうやって
私たちと同じように働きなさい。
という同列に見せかけた
最後尾戦略では浮上していけない。
あえてズルすぎるくらいの優遇で
自ら再起動をかけるように促して
自分の足で立たないことには
その後、長続きしないんです。
政治家にはできないでしょう。
おそらく民間レベルで
同じ立場の人間同士が
コミュニティをつくって協力し合う。
「いいケンカ」をしながら
モチベーションを維持して
自分たちで挑戦していく。
その環境づくりが重要だと思う。
最初のアプローチを変えること。
心のオニの気持ちを推し測ること。
同じ立場の人が鼓舞しながら
支え合うことなど、ポイントは
いくつかあると思う。
政府はそういう人を支える側に
回ればいいんです。
どのみち周囲が一生懸命尽くしても
互いの視線が合わないかぎりは
これまでと同じく変わりはしない。
何度も政策で打ち出したとしても
そのやり方ではまったく通用しない。
過去のやり方や常識に倣うと
新しいアイデアが出てこないんです。
また失敗に終わるくらいならば
最初から違う角度で試すことも
重要なポイントなのではないか。
ワタクシがコーノタイプがカギと
言い切るのはこういう角度を、
誰もやらない角度をつけられるから。
だから、ずっと変えられない社会を
変えるには、変人くらいのリーダーで
ちょうどいいんですよ(笑)