なんでもかんでもアラート。
どうなんだろうなぁ。
何もかも情報として教えてもらうこと
可視化して伝えやすくすることが
いつでも、善なのかねぇ。
なんでもかんでもアラート。
警戒、注意、まぁわかるんですが
不安心理をあおるカタチにもなる。
なんだろうなぁ、あらためて
言われると、可視化されると
急かされてる感じもするでしょう?
なんでもかんでも注意書きする
食品表示のような、あんな違和感がある。
一度やるとやめられないんですよ。
出かけるとき持ち物増えすぎるようなね。
付け足していくと止まらなくなる。
そこんとこわかってやってるんですかね。
アラート、アラーム、どうでもいい通知。
情報大杉、ダダ洩れもするわそりゃ(笑)
伝えた側が満足感強いんですよ、実は。
伝えられる側は負担だけが増えている。
ここに着目してみるとおもしろいですよ。
何もない無音の空間が一番いい。
何ももたないことがシアワセみたいになる。
人間、なんでもやりすぎるとバランスを
崩してしまいますからね。
あまり教えすぎても、いざというときに
自己判断ができないし、タイミング逃すし。
各自の判断に「余裕を持たせる」ほうが
近い将来、私たちの大事な指針に
なると思いますけどね。知らんけど(笑)
なんでも叶うようないまの時代は
やっぱり「伝える側」のコントロール。
こっちのほうが重要かもしれない。