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変わったのに変われない


改めて思うけど気候変動って

私たち自身、体感や実感はすれど

すぐに元の生活のベースに戻るが


このベースってのは、長い年月を

かけて蓄積されていった「常識」


戻そうとしてるベースへの意識と

現実への対応、再構築のステップに

無理が生じ始めているのではないか


つまりは、災害が起こるけれど

通常の対応ではもう挽回や回復が

難しいほどの相手、自然の猛威に


これまでと同じように戻そうとして

また積木を崩されるような感覚


過去の人間も同じだろうけど

私たちもいつもの生活に戻し

穏やかに暮らしたいと願うが


繰り返す災害で積木は無慈悲に

崩されて人の心を折るような

この破壊力、頻度も高くなっていく


必要なインフラを構築し直しても

また崩され、誰も住まなくなるのか


かといって、平地や整えた場所に

人が集まりすぎるのも違う気がする


もうひとひねり、人間は知恵を

出しあい協力し合いたいのだ


自然に抗いながら守るにしても

これから起こる気候変動による

食糧難、漁業だって取れる魚が

生態系や通るルートが変わるし

それを生業とするにも変化が生じる


不作や不漁になれば価格高騰を招き

どんどん後手に回っていくのが

目に見えているし、推測できる


しかし私たちの生活目線でいくと

この変化に対して、こうなりそう

だからこうしていこうではなく


こうなってしまった、我慢して

通常に戻るのを懇願して待つ姿勢

特に日本人は変化に対しては鈍感


鈍感になるのは決定やアクションを

常に人任せにてしまう社会構造に

してしまってきたからであろう


これからどう具体的にしていくのか

ビジョンも示すことなく、ただ待つ


この待つだけのしくみは災害時の

対応にも感じることではある


柔軟性に乏しく、ルール通りに

こなそうとする力がはたらき過ぎ

現実への対応が遅れを取ってしまう


こうすればいいのにと感じながら

待つだけになる現実のやりきれなさ


自発的な決定からの行動力を失う

素人がやってはダメだから待つ

しかし待ってるだけで素人側だけが

良くできる機会を失っていく構図


変化に対応できる行動のチャンスを

私たちはちゃんと感じ取っている


しかし決定権や権限がないので

待つことしかできなくなってる


この現状の課題は常に直面してるが

後回しにするかのようにして

しくみを動かして流動性を高める

決断を下すことから避け続ける


首都圏などでもっと大きな数の

人間が巻き込まれる災害が起こり

現状の不手際についてようやく

議論から始まるのだろうな笑


そうなってからでは遅いことを

災害大国の歴史のある日本人は

何も変化と行動を起こせない現状

知恵も協力も助け合いも遠退く


間違いを未然にただしていくこと

推測から可能性を見いだして

対応を実行するために私たちには

何が必要なのだろうか?


待つことだけなんだろうか

ずっと機会を逃してじっとずっと

待ち続け、間違いには気づいても

修正できないジレンマを

甘受し続けなければならない


この社会の構図はいつ変わるのか

私たちは少しでも変えたいのに

変えることはできないのだろう


リーダーにすべてを任せながら

決定を待つだけで多くの人は

納得できるのだろうか?


ずっと、ずっと疑問に思っている



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