地震で揺れる心。


なんか近づいているのかな。

得体の知れないエネルギーが。


夜にテレビをつけていたので

ニュースキャスターたちの

急なヘルメット選手権には

不謹慎ながら笑ってしまった。


「似合わないなぁ~」とか

こみ上げる可笑しさが。


笑っちゃいけないからこそ

逆に笑ってしまうということも

わかって頂きたい(笑)


小さい頃から学校で

経験してきた避難訓練。


あの時の気持ちも

時間が経てばどこかでもう。

それが普通だといえば普通だ。


オトナになるとそれ以上に

自分の普段の環境に

慣れ過ぎてしまう。


だが、いざというときに

ちゃんと冷静に自分に

スイッチを入れられるような

心持ちでいたい。


ところが、そういう人間の意識と

インフラを介した社会全体の

人の意識がかみ合わない。


表現しづらい感覚なんですが

カギになるのは人の心なのかな。


モノで備えておくのも大事だが

心を備えておく観点を誰も言わない。


モノで現状の高さを守ろうとして

自分の基準を下げようとはしない。


モノを備えて守るしかないと

思ってしまっているからでしょうね。


年々、スムーズに生活が改善され続け

その生活を快適にこなす感覚に慣れる。


その当たり前が定着しすぎて

イレギュラーに対する関心が薄れて

対処できない傍観者になってしまう。


すぐに困ってしまうんですよ。

こまってしまってワンワンワワン。

理由を押し付けようとしてしまう。


誰かや何かにぶつけたくなるのは

その不安や恐怖を自分から外に

なんとなく逃がしたくなるから。


リズムに乗っかりさえすれば

機械のように正確に、かつ確実に

遂行するのが、日本という国。


ワクチン接種などが良い例。

社会全体がリズムに乗ってるときの

全体の統一感はハンパない。


だが、いつものリズムが崩されると脆い。

サッカーの日本代表のように。


リズムを崩し、そこから立て直すのに

異常なほど待ち、慎重で決断しなくなる。


このへんはコロナ禍での後手後手対応

遅々として決めてもらわないと動けない

日本社会の欠陥とも共通している。


そもそも東京は自然災害等には

弱いというがここも問題は、人の行動。


人の動きに制限がかかり

普段通りが通用しなくなると

人は通常通りに動こうとして

余計に集まったり、あふれたりする。


いつもはスムーズに分散できていて

人が流れているのでわかりづらいが

都市部に多くの人が押し込まれ

常に循環しているような人の量。


その人が急に詰まった流水のように

次々と滞留し続けて溜まっていく。


その結果の「行動災害」みたいな感覚。

こちらのほうが強いんですよね。


(ムダに)都心に出入りする人が

多すぎるだけに、都心と近県を

結ぶ人の移動などの行動災害。


この方面の問題をどう解決するか。

基本的には都心から意図的に

人を減らすしかないのだろうけど。


ぎゅうぎゅうに詰めてリズム良く

動かす社会インフラが崩れたとき。


それに慣れてしまっている私たちは

イライラしてしまうんです。

あさこ、イライラする!(いとうあさこ)


ワタクシもかつては都心に

電車通勤で通ったことがあって。

もう慣れるしかなかった。

人の多さ、分単位のリズム感。


たぶん外国の人からすると異常に

急ぎすぎなんだと思います(笑)


知らず知らずのうちに

そのリズム感を当たり前と感じて

更にムダを無くしていく道を追求する。


もっと速く、もっと正確に

もっと快適に、もっともっと。

要求というか、欲求に応えていく。


日本人にはこのエスカレート感がある。

企業も売るために、そういう路線。

その応え方も日本人の速度異常に

大きく貢献しているのは間違いない。


以前も書いたが、部活などで先輩たちの

前年の実績を上回ろうと無意識に乗せられ

加速させていく意味のわからない流れ(笑)

アレとどこか似ている。


冷静になれば、自分たちは自分たちだ。

やるのも決めるのも、自分たち。


自分たちで、いまできることを

自分たちで設定して達成していく

という感覚を経験できていない。


やみくもに無条件に前年度超えを

設定して疑わずに従う姿勢。

あんまり考えなくていいんですよ。


これは流れに乗れないと失敗する

くじかれたとき自分で立て直せない

日本人の根本的な課題とリンクしている。


目標を設定してそこを目指すことで

ウヤムヤにごまかして、本気で

この感覚と向き合おうとしない。


前年などの実績に追いつき追い越すこと

そればかりが正義だと掲げられて

従わされてしまうという意思の操作。


納豆をかき混ぜ始める。

納豆をかき混ぜる速度を上げたり

かき混ぜる回数にこだわったりと

細部にまで凝りだしていく。


挙げ句、かき混ぜることすら

自分で止められなくなる。

納豆を食うことすら忘れるくらいに。


ついてこない、これないやつらは

置いていくぞと、ムチを入れられ続ける。


昨今の通信速度に合わせるかのように

人間も同じ速度で加速しようとする。


通信速度に追いつく必要はないし

通信速度の恩恵で短縮された時間に

別のタスクを埋め込む必要はない。


本当は逆で、速度による短縮で

できた時間は、速くなる感覚の

スピードを緩めるために

落ち着かせるために、必要な時間。


ゆっくりと心を落ち着かせる時間を

通信速度に、あえて逆らうように

遅く緩めて、体も気持ちも弛緩させる。


そういう時間を意図的に持たないと

私たちは延々、永遠と走らされる。


常々そうやって走らされてるから

アクシデントが起こったとき

遅くなるとストレスに感じてしまう。

止まると迷惑だと感じる。


我先にと、人が集まって行列をつくる。

早くいつもどおりに戻したい、戻りたい。


早くしないと会社に遅れる

遅れると会社に迷惑をかける

自分の評価が下がる、顧客に迷惑が。


相手も皆同じように考えるから

迷惑かけないように、どんどん

速くしていこうと加速してしまう。


こういう意識を変えないと

混乱しやすく、厳しいですよね。


ホントの大きな災害の時に

私たちは思っている以上の混乱に

遭遇することになるのではないか。


自然災害は避けることはできないが

行動災害は私たち次第で、

極力小さくすることはできるし

うまくコントロールしたら

避けられることなのかもしれない。


急ぎすぎなければ。

加速しすぎなければね。






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