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緊張の意図。


某大臣が発言したけど

たしかに「まん防」と言われると

響きがちょっとポップで軽さが出る。


マスメディアの結果的に意図のない

見えないミスリードみたいな。


普段の記事と同じスタンスで

サイズに合わせた略し方があっても

そこはもうちょい、意図が欲しい。


いま、かなり緊張の糸が切れている。

お願いレベルではヤバイ感覚を

普段よりちょっとナーバスに

感じさせるくらいでちょうどいい。


緊張の意図を与えるくらいの

真剣さと神経質さが必要でしょうね。


みんなどこかで、たぶん大丈夫と

思っていてこれまでもそうだったから

そうしたくなるんだと思います。


メディアも揚げ足取りばかりする

いつもの関心寄せのパターンに

持っていこうとしている。


たぶん何も考えずにどこかが

「まん防」と略して表記したことで

それに倣って他のメディアも

わかりやすいからと続いたんでしょう。


できればもう少し上の意識を

持ってこさせる意図が欲しい。


「したい欲」が「すべきこと」を

上回ってしまい、他がしたいことを

していると自分もと、その意識が

加速してしまうんです。


昔、ニュース通信社で新聞のラテ欄の

入力作業の仕事をしていたときがあって。


その時もその業界なりの表記の仕方

誤解を与えないような表記の仕方など

基準が事細かに決められていた。


新聞業界の表記へのこだわりがあり

細部にちゃんと理由があっての

表記だったのを思い出した。


いまは当時と違ってネット記事が多く

誤字脱字から始まり良くない表現などが

かなりあいまいにタレ流されてしまい

なし崩し的にスルーされていたりもする。


こういうルールって縛りが強いと

不自由だと感じるけど

あまりに自由すぎても悪くなる。

そのさじ加減が難しい。


明らかに警戒感が慣れに変わり

粛々と予防を意識しながらも

どこか他人事のような感覚が

知らず知らず強くなっている。


やっぱり嫌われてもピリッとさせる

雰囲気づくりっていま必要ではないかな。


なんとなく進んでいるいま。

あまり考えずに済んだ時代が

私たちは長く過ごしてきたから。


ストレスフリーにもしすぎて

その感覚に戻したくなる。

平和すぎた国の弱点なのかな。


あえて緊張の意図があってもいい。

緊張の糸は、いまの時代だからこそ

逆に維持するのが難しいのだから。








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