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当たり前じゃないからな!


全国各地の毎年恒例の祭りやイベントが

続々と中止を決定しているようです。

地方だけでなくあらゆる地域で、

「毎年恒例」というものがある。


毎年恒例というのは、今回のような災難があると

地域社会と地元企業など、あらゆる裾野まで

連動しているぶん、影響が広範囲に及んでしまう。

地元の経済だけでなく、住民の気持ちにまで

深く影を落とすことになるんですよね。


ここであえて必要なのは、

こうなったからには、新しく何ができるか?

という問いを立てて、失敗を恐れずに

チャレンジしていくことではないか。


さわやかに軽やかに聞こえるばかりで、

言葉だけでは難しいことは百も承知です。


しかし国の醜態をこれまでも、そして今回も

相も変わらず「毎回恒例」のことと捉えて、

依存心に距離を置いて、自尊心を手繰り寄せる。


こんな機会がなければ、気づかなかったか

一生考えもしなかったことかもしれません。


毎年、毎回訪れるものに頼りすぎていたんですよね。

そして、頼りすぎてすべて崩れることを

想定していなかった、という厳しさばかりが残った。


いざ、そうなったら「うわぁ・・・」となる。

事態は急に来るけど、実感としてはジンワリくるんです。

なんかわからないけど鈍痛が続いてるみたいな。


じゃあ、まずどこにメスを入れるべきなのか。

それは私たちの気持ちのなかに狂犬・加藤浩次の

「当たり前じゃないからな!」をセットすること。


本来は、たしか自分がある程度、決まり事を

こなすように反省したら、もとに戻れるという

軽い思い上がりの気持ちを諭す、叫びだったような

そんな気がしますね。


当たり前の日常がくること、そして依存。

ルーティーン化して、パターン化するからこそ、

油断や思い込み、盲点が生まれるんだと思う。

相方の山本のどこか甘えた考え方への叱咤でしょう。


もうひとつ、「今現在が」当たり前の日常を

過ごせる状況じゃないからな、という考え。

こちらもあるんですよ。


たとえば、思いついたのが

多くの中小事業主を中心として、そして一般市民も

そうなんですが、賃料、家賃という分野に注目してます。


各自にバラまくのが難しいならば、

家賃に相当するお金の分を猶予してあげる措置をとる、

または一時的に行政が負担してあげる措置をとり、

その貸主に補償するというパターン。


貸主に全部を補填してあげるかどうかは、

議論の余地があるとしても、補償の対象範囲としては

劇的に減らすことができ、効率的に効果があがりそう。


ここも「当たり前じゃないからな」がヒントなんです。

家賃を払わなければならない、という借主。

家賃を払ってもらわなければ困る、という貸主。

「毎回恒例」であって、疑おうとも動かそうともしない視点。


どちらも不安であって、負担に感じるわけです。

家賃の負担分がおそらく一番の負担なわけでしょ?

支払わなければ、という。


最悪の状況を回避するならば、

A(国、行政)→B(事業主、市民)→C(貸主)

というルートでいつもどおりにやろうとするのが、

難しいという状況なんだと、じゃあちょっと工夫してみる。


A:B:Cの比率を考えれば、ざっと1:8:1

正確には知りませんけど、あくまでイメージでね。


すると、家賃相当分をA→Cのルートに

ショートカットする案を検討できるはずなんですよ。

一時的にこのルートでカバーできるメリットはある。


緊急事態なので、特措法でうまいことやれないか?(笑)

家賃の負担分を一時的にBから解放させ、猶予を与える。

細かいことは後で詰めればいい。ほんとそれくらいでいい。


スピード重視ならば、すべて「ありき」で動くのではなく、

緊急避難だと思えばいい。

法律をアタマにちらつかせて、

火事や津波、地震から逃げますか?


このプランを早急に詰めていけば、

しばらくの間、食べるものを中心に生命維持へ

他ならぬ拡散防止のためにも、

少ないなかでも融通を利かせて、シフトできますよね。


なんでも当たり前に、通常通りにやろうとするから

ハードルが高くなる。ハードルの数も増えるんです。

ぜひ、やれるかどうか検討してほしい視点ですね。











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