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旅たぬ記 分福茶釜之巻(巻之弐)

前回、遥々浅草から特急電車に乗って茂林寺前迄やって參りました。
今回はその續きで茂林寺を參拝方々見學していきます。

參道入口

參道入口にはこうした民藝品屋さんが並んでおります。
貸自轉車もあります。その名も「ぽんチャリ」

いらしゃいませー!

軒先には當然の如く狸の置き物が置いてあります。

お店の中もこの通り

狸さんでいっぱいです。
この面白いところは皆それぞれに表情や仕草が微妙に違うところです。
掌大の豆狸から身の丈1米を越える様な大型狸迄、狸の置物なら何でも揃っております。
狸の形をした湯呑や急須等の面白い小間物も澤山あります。

お菓子にお酒、漬物等も

折しも夏の猛暑日。私以外の人影は見かけません。
とりあえず土産物屋はお寺の後にゆっくり見物する事にして茂林寺の入口に向かいます。

お寺の入口・総門

通称「黒門」と呼ばれているお寺の入口です。
のどかで静かな場所です。辺り一面に響く蝉の声すら静寂に聞こえてきます。

色々な狸さんが勢揃い

総門を抜けると色々な狸が參道の両脇に佇んでおられます。その数21軆。
それぞれに違いがあり2つとして同じものはありません。

イケメンアピール!

それぞれの台座にはその狸の像の特徴を歌にしたものが書いてあり、その表現を見ると狸の個性も一段と引き立つものです。
こちらを見ているものもあれば、さり氣なく小さな豆狸が一緒に乗っているもの等、面白いものです。

夏の盛りで草が少々育ち過ぎておりますが、こうして草陰から顔を覗かせる狸もまた一興。

たんたん狸の…

特に何かウケを狙っている訳ではありませんが、こうして佇んでいるだけでそのユーモラスな姿がひょうきんで面白おかしく思えるものです。

そういうものに わたしはなりたい。

すごく…大きいです……

東武鉄道さんが寄贈した一際大きな狸の立像。
後ろに在る観音様を差し置いて目立っています。

この様に狸は「他を抜く」と云う意味合いがあり、特に信樂焼の置物が非常に有名ですが、參道のお店でも並んでいた通り色々な種類があるのです。
今日では、やゝ傾げた首に酒の徳利を持っている「酒賈い狸」が定番となっておりますが、ここに並んでいる狸達の様に實に多種多様な姿があるのです。
これら狸の像には以下の様に縁起の良い意味合いが込められております。

笠・・・・災難や危險から守ってくれる
笑顔・・・お客様にはいつも笑顔
徳利・・・人徳に通じる意味
帳面・・・信用第一
目・・・・大きな目でよく見て決断。そして周りへの氣配り
お腹・・・豪胆さと冷静さ
尻尾・・・終わり良ければ全て良し
金〇・・・金運

これを「八相縁起」と言い、特に商家で好まれている縁起の良い意味合いとなります。
また、ごく少数ではありますがメスの狸像もあります。
その場合は金運が身に附けている飾り物等に意味される場合がある様です。

一粒で何度もおいしい狸さん。なかなかお得な多機能ものです。

尚、この信楽焼の狸の歴史は比較的浅く、明治時代に作られたとの事であります(諸説有り)
同じく明治期に作られた物として有名な「蚊遣り器のブタさん」と似ている部分があります(因みにブタさんの方は三重縣の万古焼です)

ミニブタ君と豆狸さん。お互い似たもの同士
(他にも狐さんとネコさんも居ます)

また、全國的に有名になったのは昭和天皇が戰後の御幸で滋賀縣信樂町ご訪問の際に日の丸の旗を持った狸達が沿道に集結したのが發端となる様で、陛下に於かれましてはその様子をお喜びになり、下記の歌迄残されておられます。

をさなき日 あつめしからに なつかしも 信楽焼の 狸をみれば

もし、町で信樂焼の置物を見かけた際はその狸に思いを馳せてみるのも面白いでしょう。

それにしてもイヌ科の動物の狸をこの様にデフォルメするセンスたるや素晴らしいものがあります。
狸は本來極東の一部地域にしか棲息しない生き物で、世界的に見れば「珍獣」なのでありますが、それがこの様な直立二足歩行のキャラクターになるのは恐らく日本獨自のものでしょう。

境内より総門を見る

さて、狸から茂林寺へ話を移しましょう。
茂林寺は応永33年(1426年)開山された曹洞宗の古刹です。
丁度來年に開山600年を迎える計算になります。
開祖となるお坊さんは美濃の國の出身との事で不思議な事に信樂焼の故郷に近い土地なのです。
もしかしたらその辺りで何か狸と關わりがある運命にあったのかもしれませんが、その開祖の御前様が群馬縣の伊香保で守鶴和尚と出會った様です。

この守鶴和尚こそが分福茶釜の「キーパーソン」となる人物であり、お寺の言い傳えによると、開祖の御前様が守鶴和尚を聯れてこの地に庵を構えられたそうです。
守鶴和尚はこの後、代々の住職に仕えた方でありますが或る日このお寺に「不思議な茶釜」を持參したと云う事です。

言う迄も無く、この「不思議な茶釜」が分福茶釜の元ネタとなった様ですが狸が茶釜に化けていたと云うのは後世になってからの創作と言われております。

さて件の「不思議な茶釜」ですが、大勢の方が參列する「千人法會」で澤山のお湯が必要になった際に、どこからか守鶴和尚が持ってきた物だったのであり、これは幾らでもお湯が沸き出てくる凄い茶釜だったのです。
この正式名称は「紫金銅分福茶釜」と言い、これで淹れたお湯には「福を分ける」力があり、呑めば8つの功徳を授かれるとの事でした。

これまた不思議な事に先の狸の置物の「八相縁起」と数が一緒なのです。

その辺りの謎を解明するには至りませんでしたが、開祖の出身地と言い何やら面白い繋がりがある様です。
次回、守鶴和尚についてもう少し見ていきましょう。

残念乍らお寺の本堂内は撮影禁止だった為ここでは画像がありませんが、このお寺にはこの「分福茶釜」が實在しているのです。
それが祀ってある専用のお部屋迄あり、私もこの目で見てきました。

材質は銅、胴回り1.2米、重量11.2キロ瓦、容積21.8立米、口径24.8糎

…となっております。
やゝ黒ずんだ鈍い黄金色をしております。
この茶釜の金属は「黄銅」とも称されており眞鍮と間違われる事もありますが黄色がかった銅であり古來日本で珍重された金属です。
やがて日本獨自の色合いを出すに至り「いろがね」となります。

茶釜の他にも狸の剥製や日本全國から集められた狸の置物をはじめとした縁起物、繪画や掛け軸等が展示されており、古今の分福茶釜の繪本を閲覧する事も可能です。
戰時中の教科書のものもあり、終戰後の「墨塗」を免れた國語の教材の一つであり貴重な資料となっております。

また縁側に出てみれば落ち着いた佇まいのお庭を見る事が出來、折しも蝉の鳴く声と木々の蒼さが見事な眺めでありました。


本堂内を見學致しましてもう少し境内を散策していきたいと思いますが、今回はここ迄と致します。
また次回はこの分福茶釜のミステリーを今少し覗いてみましょう。

近所の呑み屋

路地がまた良いフインキの美味しいもつ焼きのお店です。
時々行きます。

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