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【投稿その1 昔のエッセイを放出します  オブさん文芸部エッセイ⑥ わたしが大学に入るまで(上)】

M高校シリーズ。劣等生だったわたしが大学にもぐりこむまでのお話です。

 高校生の頃はまったく勉強しなかったわたしでしたが、それでも「できれば国立大学に進学したい」とずうずうしくも思っていました。同級生のほとんどが大学進学志望でしたし、大学に行けば何かいいことがある、とぼんやり考えていたような気もします。
 というわけで、高校卒業の直前には共通一次試験(今で言うところのセンター試験ですね)も受験し、どこかわたしでも潜り込める国公立大学はないか、と悪あがきをしていました。しかし、受験のための知識などほとんど皆目まったくさっぱり身についていないわけですから、その結果はまさに惨憺(さんたん)たるものでした。国語、数学、英語は二〇〇点満点、社会科(現在の地歴・公民科です)・理科は二科目で二〇〇点ずつの計一〇〇〇点満点だったのですが、その結果はそれはそれは無残なものでした。特に数学はヒドイ結果でした。なにしろ、わかって答えた問題が一問もないというありさまで、自己採点で何度計算し直しても三〇点を越えないのです。二九点(笑)。
 ここまでヒドイと、落胆するというよりむしろ笑っちゃうという感じで、翌日学校へ行くとわたしは、クラスの友人に「数学は二九点だったんだぜ。いくらなんでも、これより低い点のやつはいないだろう」と自慢しました(バカを自慢してどうする、と思われるでしょうが、当時のわたしの仲間たちは、そういう連中ばかりだったのだ、と思ってください)。すると、同級生のKくんが自分の顔の前で「チッチッチッ」と昭和三十年代の和製アクション映画の悪役のように指を振って言いました。「甘いなオブナイ。オレは二八点だったぜ」。わたしは愕然として答えました。「負けたよ、Kくん。世の中、下には下がいるんだなあ」(もちろんKくんをバカにしているわけではなくて、本気で負けたと思っているのですよ)。今から考えると、こんなザマで国立大学に行きたいなどと、よく言えたものだと思います。だいたい、これでは共通一次試験を受ける意味もない感じですし。

 こんなわたしが無謀にも国立大学を目指した理由は、とにかく家にカネがない、ということでした。当時はバブル景気が始まる七~八年前で、バブルどころか「構造不況」の真っ最中でした。父は左官職人なのですが、その頃はさっぱり仕事がなく、「半失業」の状態に近かったと思います。母もパートタイマーとして働いていましたが、二人合わせても収入は微々たるもので、なかなか生活は大変でした。そんな状態で、わたしが大学に行くとなれば、その選択肢は学費の安い国公立大学しかなかったのです。
 まあ、結果は推して知るべし。二次試験を受けることすらできず、わたしは就職の道を選びました。それでも、「仕方ないか。貧乏なんだし」と自分を納得させ、一八歳のわたしは勤めに出ることとなりました。(つづく)

【豊栄高校文芸同好会会誌「凪」第4集(2004年3月5日発行)より】

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