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【投稿その1 昔のエッセイを放出します オブさん文芸部エッセイ① 私の「文芸部」物語(上)】

 私オブさんは、これからの自分のカタガキを「雑文屋」とすることにしました(⇐名乗るのは私の勝手ですから😜)。

 んで、その前哨戦、ということで、以前書いていたエッセイをとりあえずここにアップしていきます。おヒマな折にでもお読みください。

 その一回目は、「私の文芸部物語」。私が通っていたM高校文芸部のお話です。長いので、3回に分けてアップしていきます。


私の「文芸部」物語(上)
オブナイ秀一

 私がM高校に入学したのは、一九●●年四月のことです。
 信濃川右岸、昭和大橋のたもと近くにあるM高校の校舎は一九三九年に建てられた当時のままの木造で、床は歩くとギシギシと音を立て、その床に塗られていたワックスは、独特のにおいを漂わせていました。それはとても印象が深く、今でも時折思い出します。
 一学年は一〇クラスあり、一クラスには四五人の生徒がいました。それが三学年あるわけで、単純に計算すると、一三五〇人の生徒がいたということになります。まあ、マンモス校の部類に入るでしょう。
 入学直後のある日の昼休み、私の所属する一年四組の教室に、三年の先輩たち数人がいきなりドカドカと入ってきました。まだ中学生気分が抜けきれない私たちには、その先輩方はたいそう大人っぽく見え、また、恐そうでした。静まり返る私たちに向かって、その先輩方は言いました。
「新入生諸君。われわれは文芸部である。文学を愛好する諸君は、ぜひ文芸部に入りたまえ」。
 早い話が、「文芸部」という部活動入部の勧誘であったわけですが、その先輩たちの姿はといえば、およそ「文学」という格調高いものからはほど遠い感じでした。むしろ、応援団か何か、もっとマッチョな部活動ではないか、とその外見からは思われました。その先輩たちは、私たちのとまどいを知ってか知らずか、さらにこう続けました。
「文芸部は、たいへん自由で楽しい部である。春は花見を楽しみ、夏はハイキング、秋はもみじ狩りなど、イベントもめじろ押しである。また、ボウリング、卓球などのスポーツも楽しめるのである。諸君。ぜひ文芸部に入部したまえ」。
 それだけ言ったかと思うと、先輩たちはあっという間に教室から出ていき、また隣のクラスで同じことをやっていました。私たちのクラス全員、しばらく茫然としていたのは言うまでもありません。「今のはいったいなんなんだ?」という不審と疑問が、みんなの頭の中に渦巻いていたからです。
 だって、「文学的な話」が、全然ないんだもん。
 少なくとも「文芸部」なら、「これこれこういう文学的な活動を行なっている」という説明があってしかるべきだと思うのですが、その先輩たちの話には、そういう説明は一切全く皆目さっぱりありませんでした。それでよく「文芸部に入部したまえ」などと言えたものだとは思うのですが、新入生にインパクトを与え、入部を促すのが目的なのだとすれば、それはそれなりに効果はあったのかもしれません。そんな文芸部を「面白そうだ」と思って入部を決めてしまった生徒が、私を含めて五人はいたわけですから。(つづく)

【豊栄高校文芸同好会誌「凪」創刊号(2002年11月発行)顧問エッセイより】

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