【投稿その1 昔のエッセイを放出します オブさん文芸部エッセイ② 文芸部室に巣くうおかしな先輩たち(下)】
文芸部員のイメージというと、青白い顔色の、ひょろっと痩せた、なにやら線の細~い感じがしたりするわけですが、その先輩方はみんな、そういうステレオタイプな姿からはほど遠い人たちでした。なんというか、古いタイプのバンカラ高校生のイメージ。
リーダー格のYさんは、いつも恋愛小説や恋愛をテーマにした詩を発表していました。いかにも文学青年風のやや長い髪型でしたが、体力も体格も屈強で、ボウリングなどをしようものなら一番重いボールを投げ、ピンをへし折らんばかりの勢いでした。世間話も恋愛の大切さなどが主でしたが、どうしたわけか、つきあっている女性はいないのでした。
Tさんは、青春の屈折をもっぱら詩にして発表していました。外見は繊細そうなのですが、落ち着き払った真面目な顔でくだらないことを言うという芸風で、勉強とは別の意味で頭がいいという印象の先輩でした。
Mさんは、知的な外見とひどい成績を兼ね備えた人です。そもそも学校の勉強に意味を求めていないようで、そのひどい成績でも行ける大学を見つけてきてちゃっかりそこに進学しました。その先輩の書くものといえば、文章の半分を漢字が占める難解な小説であったりしました。何しろ勉強以外のことに関しての知識たるや大したものでした。特に、クラシック音楽と写真については、このMさんからいろいろと教えていただきました。(他にもおおぜいいらしっゃいますが、ここにはもう書ききれない)。
こんな先輩方からわたしは、さまざまのどうでもいいことを教わりました。それには今でも感謝しています(本当です)。いちばんあきれたじゃないやすばらしいアドバイスは、「人間、浪人しないと成長できないのだ。オブナイも当然浪人しなければならない」でした。そもそも、まだ現役の三年生のくせに、そんなことを言っていていいのだろうか、と思っていたら、Mさんら推薦で進学した以外の皆さんはことごとく浪人し、見事に自らの思想を実践に移していました(笑)。わたしも結局、卒業時に進学できず、いったん就職した二年後に改めて大学に行き直したわけですが、その時先輩方は「これでおまえの人間的成長は間違いない」と無責任に保証してくれました(わははは)。
しかしまあ、こんな文芸部があったからこそ、わたしはそれほど変なふうにもならず、わたしなりに充実した高校生活を送れたのだろう、と思っています。文芸部でのいろいろな経験は、まさに高校生の時にしか得ることのできない貴重な経験でした。今でも、あのころに戻れるものなら戻りたい、などと思うことがあったりします。だから、今、高校生活のまっただ中にいる皆さんを、ほんのちょっとだけうらやましく思ったりもするのです。
【新潟東高校文芸部誌「簓」第1集(2005年10月1日発行)顧問エッセイより】