【投稿その1 昔のエッセイを放出します オブさん文芸部エッセイ①私の「文芸部」物語(中)】
私の「文芸部」物語(中)
文芸部の部室は、三年生用玄関の脇の階段下の小部屋でした。五~六人も入ればいっぱいになるようなその部屋に、いつも一〇人近くの部員がたむろしていました。部員は、三年生が一〇人くらい(部員なのかそうでないのかよくわからない人も含む)、二年生が一人、そして私たち一年生が五人。音楽・芸術系以外の文化系の部活動としては、なかなかの大所帯であったと思います。ただ、女子の部員はほとんどいませんでした。文芸部というと、女子がその活動の中心となっていることが多いという印象がありますし、また実際そうであることも多いのですが、M高校は違いました。ほとんど男。だから部室はいつも、たいそう男臭い部屋でした。その理由は実はものすごく単純で、早い話が、その頃のM高校には、女子がほとんどいなかったのです。
私が入学した年は、同期に四五二人の生徒がいたのですが、そのうち女子は約三〇人だけでした。それは私たちの代だけの特別な現象というわけではなく、とにかく私たちの高校は、女子に人気がありませんでした。
その理由は、もちろん当時からいろいろ取りざたされていました。川向こうに大きな女子高があるから、女子はみんなそこに行く、というのもその一つではありました。しかし、もっとも説得力のある理由は、「とにかく学校が古くて汚い」ということでした。
前述のとおりM高校は、一九三九年に創立した当時のままの木造校舎で、それはそれはレトロな風情の学校でした。今思えば、あの校舎がそのまま現在まで残っていたとしたら、きっとそれなりに人気が出たのではないか、という気もします。しかし、当時の女子学生にとっては、単に「古くさく、ボロッちい」校舎にすぎなかったのでしょう。なにしろ、「女子のトイレの便器の下から、怪しげな手が伸びてくる」などというウワサがもっともらしく語られたりもしていましたし、だいたい、いくら今から二〇数年前とはいえ、トイレがくみ取りで、水洗化されていない、というのは、なるほど公共施設としては問題がありました。確かに女の子は来たくないであろうなあと、私たちもつい納得してしまったものです(この説の信頼性は、後に校舎が新築され、校舎がどんどん新しく変わっていくにつれ、女子生徒がどんどん増え、今では過半数を占めているという事実からも証明されています)。
ともかく、その男臭い文芸部室で、私たちがやっていたことといえば、ひたすらトランプでした。当時、新しいトランプゲームとして一世を風靡していた「大富豪」を、部員一同熱中してやっていたのです。もちろん、文芸部なのですから、文学について語り合うことも当然あるわけですが、それはたいがいトランプをしながらだったことを思い出します。
また、定期考査の後など、時間のゆとりのあるときには、みんなでボウリング場へ赴き、ボウリングを楽しんだりもしていました。私も何回かやっているうちに上達し、一八〇点という高得点をとったこともあります。卓球部が活動していないスキをねらって、卓球をしたりもしていました。部室で作品を書いている人など、だれもいませんでした。(つづく)
【豊栄高校文芸同好会誌「凪」創刊号(2002年11月発行)顧問エッセイより】