【投稿その1 昔のエッセイを放出します オブさん文芸部エッセイ③ 今でも言いにくい恥ずかしい過去(上)】
M高校文芸部シリーズの3本目。おヒマな折にでもお読みください。
やたらと個性的な先輩方の、怒濤のような勧誘にのせられて、ついふらふらとM高校文芸部に入部したわたしでしたが、しかし、だからといって、部活動に対する姿勢もいいかげんだったわけでは決してありません。いや、むしろ、小説であろうが詩であろうが俳句であろうが短歌であろうが都々逸であろうがなんでも書けるし、面白い作品をどんどん書いて、読者をあっと言わせてやるぜ、というくらい自信満々な気分でした。
M高校の文芸部誌『筏』は、ン十年前から続く由緒正しい文芸誌です。まあ、わたしが入部したときの先輩方は、前回書いたとおり、いわば「居抜き」で部を乗っ取った面々ですが、誌名はそのままこれまでのものを引き継いだというわけです。やはりM高文芸部出身だった顧問の先生が、「『筏』の名を残さなければオマエらの活動は認めんっ」と言ったとか言わないとか(ちなみに、今もまだその名前が残っているかどうかは定かではありません)。
当時の『筏』は、そのレベルはさておいて、いちおう純文学路線の作品が並んでいました。わたしはそれら先輩方の力作を読みながら、不遜にも、「これくらいならオレにだって簡単に書ける」などと思ってしまうのでした(わははは)。
その不遜さが遺憾なく発揮されたのが、わたしたちの入部早々に行われた合評会でした。『筏』の最新号を、部員や読者が一堂に会して批評しあうという、いかにも文学的な会です。ここでわたしは、よせばいいのに、先輩方の書いた作品を、コテンパンに批判しまくってしまったのです。
そもそも、まだ作品を一作も書いていないぺーぺーの一年生が、そのような批判をすること自体おこがましいのですが、そのときのわたしは、とにかく根拠のない自信を自分に抱いており、「自分以外はみんなバカ」くらいなことすら思っていたような気がします(冷汗)。そんなわけで、とにかく先輩方の作品を、あそこがよくないだの意味がわからんだのこの見解には異論があるだのと、もうむやみやたらにぶった切ってしまったのです。
それでも、懐が深いというかなんというか、先輩方はそんなわたしをあたたかく(というかほとんど珍獣扱いで)見守ってくれたのでよかったのですが、「そこまで言うのなら、きっとオブナイはよほどすごい作品を書いてくるに違いない」というムードが広がったことも確かです。わたしは、自分で自分を後に引けない状況に追い込んでしまったというわけですが、そのことを自分では全く自覚していなかったというのが、当時のわたしの、なんというかダメダメなところでした。今から考えれば。(つづく)
【新潟東高校文芸部誌「簓」第2集(2006年3月4日発行)顧問エッセイより】