【投稿その1 昔のエッセイを放出します オブさん文芸部エッセイ①私の「文芸部」物語(下)】
私の「文芸部」物語(下)
と書くと、文芸部というのは名ばかりで、単なる遊びのサークルではないかと言われそうですが、こんなノリではありながらも、文芸部の本筋、文芸誌の制作も、もちろんちゃんとやっていました。みんなで締め切りまでに作品を持ち寄り、文芸誌を発行する。それを、年二回やっていたわけですから、なかなかエネルギーがありました。のべつ遊んでばかりで、いつ書いているのかわからないのですが、とにかく作品はできている。私はそんな先輩たちを見て、いつも不思議に思っていました。
つまりは、みんな、人前で書いているのを見せるのがイヤなだけで、とにかく文学が、というか文章を書くことが好きだったのでしょう。たくさんの詩を書く先輩がいました。恋愛小説ばかり書く先輩がいました。文字の半分が漢字という難解な小説を書く先輩がいました。漢詩らしきものを作る先輩もいました。今から思えば先輩たちは、遊びながらも、それを文章を書くためのパワーに変えていたのでしょう。
そして私は、そんな先輩たちのエネルギーに圧倒され、バイタリティーに感心し、見よう見まねで小説らしきものを書くようになったのです。結局、卒業までに五本の小説を発表しました。今改めてそれを読み返すと、とても正視できるようなものではなく、ただただ恥ずかしさが込み上げてくるだけの、箸にも棒にもかからないようなシロモノなのですが、それでも捨てることはできず、今も家の押し入れの奥に大事にしまってあります。
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それから年月がたち、私は生徒から教員へと立場を変え、また高校へと戻ってきました。昨年度から豊栄高校に赴任し、そして今年、縁あってというかなんというか、生徒有志とともに、「文芸同好会」を立ち上げることになってしまいました。
文芸同好会に集った生徒たちは、必ずしも文章を書くのが上手だとか、国語の成績がいいとかいうわけではりません。ただ、自分の思いを表現したい、という気持ちだけは、みんな人一倍持っています。だからこそ、そんな生徒たちが自らを表現できる、そして、自分を伸ばしていける、そんな集まりに、文芸同好会がなればいいなあ、などと思っている今日このごろです。
高校生の時、私は文芸部で、作品を書くだけでなく、いろいろ余計なこともさせてもらいました。そして、いろいろなことを得ることができました。というわけで、豊栄高校文芸同好会に集う皆さんも、自分にとって必要な、そして一生大切にできる、いろいろなものを手に入れられればいいな、と、心から思うのです。
【豊栄高校文芸同好会誌「凪」創刊号(2002年11月発行)顧問エッセイより】