【投稿その1 昔のエッセイを放出します オブさん文芸部エッセイ⑫ サジちゃんの思い出(中)】
ある日わたしはサジちゃんに、「映画を作りたいんですよね」と話を切り出しました。なんとなく、サジちゃんなら一緒に映画を作ってくれそうな気がしたのです。その予想は当たりました。というか、サジちゃんからは、予想以上の反応が帰ってきました。「おう、やろうやろう。早速脚本書いてくるよ」。そう、なんとサジちゃんは、以前から八ミリ映画を作っており、何本もの作品があるというではありませんか。
たちまちマンガ形式の脚本を仕上げてきた(それがまた、それだけ読んでも面白いのです)サジちゃんは、知りあいの学生たちに映画出演を呼びかけました。まだ一年生でぺーぺーのわたしが声かけをしてもおそらく誰も集まりはしなかったでしょうが、サジちゃんに声を掛けられればイヤという人はいません。たちまち大勢の出演者とスタッフが集まり、映画作りはスタートしました。
映画のジャンルは、学園青春熱血感動革命的ソフトボール映画(笑)。タイトルは「吠えろ! 青春」(大笑)。早い話が、当時テレビで流行っていた青春ドラマを左翼的に仕上げたパロディーなのですが(何しろ左翼系音楽サークルですから)、ともするとバカバカしいだけで単なるドタバタになりそうな話を、サジちゃんは実におもしろいストーリーに仕立て上げていました。わたしはカメラマンとして全てのシーンの撮影をしましたが、サジちゃんの演出はまあなんというか見事なもので、はっきり言ってプロみたいでした。わたしはサジちゃんによって、映画作りの楽しさをイヤというほど教わりました。それだけでなく、みんなで力を合わせて意見をぶつけ合いながら、一つのものを作り上げていくことの楽しさも同時に教えてもらいました。そして、サジちゃんはわたしにとって、誰にも代えがたいすばらしい先輩であり、先生であり、友人となっていたのです(その映画作りと並行して、わたしは自分の作品作りもしました。その作品は、幸いなことに当時の新潟のアマチュア映画のコンテストに入選しました。それも、サジちゃんの教えがあってのことです)。
お金も時間もかかったのですが、みんなで一所懸命やりくりして、なんとか乗り切りました。みんな、お祭りのように楽しんでいました。サジちゃんが、みんなを引き付ける磁石のような役割を果たしていました。サジちゃんが言うなら、協力しようじゃないか。みんな、そんな感じだったのだと思います。秋の終わりから撮り始めたその映画は、翌年の春の初めに撮影が終了しました。編集作業も終わり、あとはアフレコを済ませば完成です。(つづく)