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オブさんエッセイ 夜の路上ミュージシャンを見た④

 仕事をしつつ、オレは曲作りを続けた。たまちゃんが参加していた東京の作詞・作曲団体にオレも加入し、機関誌に曲を送った。弾き語りができなくなったオレは、せめてソングライターとして世に出たい、と思い、半分すがるような思いでこの団体に参加したのだ。
 アマチュアの作詞・作曲者が集まるこの団体はそれなりにレベルが高く、そこで評価されるとプロへの道も開ける可能性がある、という話だった。オレは欠かさず作品を作って送った。その団体内ではたまちゃんの歌詞もオレの曲も評価され、それぞれ年間の最優秀作品に選ばれたこともあった。曲ができればうれしいし、高い評価をもえればもっとうれしい。
 しかし、いくらほめられても、心の奥にはぬぐい捨てることのできない、暗いモヤっとした何かがが染み付いている。ギターを弾けなくなった。そのことが、凝固しきって取れない澱となって心の底に固くこびりついて離れない。オレは絶望なんかしない。ただ、オレが死ぬまで持ち続けるのだろう、大切なものを永遠に失ってしまった、という思いと付き合い続けていかなければならないという、ある意味甘美とも言える恐怖を、折に触れ感じるだけだ。
 オレは徐々に、あの団体に曲を送るペースを落としていった。やがて、全く送ることができなくなってしまい、その団体との付き合いは自然消滅した。いくらあの団体から評価されてもプロのソングライターになれる様子がなかった、ということもあるが、そもそも、曲を思うように作れなくなっていた。曲作りは、オレの人生に残された、最も大切なものなのに。
 思い当たることといえば、必ずしも向いていない仕事の環境が変化し、ストレスとふがいなさを感じていたことと、関節リウマチがまた再燃し始め、足首や顎関節、左肩や肘・手首がひどい痛みにさいなまれていたことだ。ただ、それだけじゃない。今から考えれば、このときのオレは、ギターを失ったことを起点にして心に溜まり続けた泥沼に足を取られ、そこから抜け出せずにもがき、気力を奪われていたのではないか、とも思う。

◇          ◇

 そのころのオレは、もともと好きだった酒を毎日飲んだ(実は今も毎日飲んでいる)。特に週末は飲んだ。夕方から飲み始め、何軒かハシゴして明け方近くまで飲み続ける、ということが増えた(今はさすがにそんな飲み方はしていない)。酒を飲むのは楽しかった(今でももちろん楽しい)。言っておくが、オレはヤケ酒とか憂さ晴らしの酒なんか飲まない。そんな飲み方をしたって楽しくない。うまい酒を飲むと幸福を感じる。リウマチの関節の痛みも、そのときは忘れられる。だから飲む。それだけだ。ただ、酒を飲むとそれ以外のことは何もできない。読書も、物を書くことも、もちろん曲作りも。
 ハシゴの途中、次の店に向かって古町を歩いていると、何人かの路上ミュージシャンがアコースティックギターを抱えて歌っているのに行き合ったりする。上手いヤツもいれば、明らかな初心者もいる。ただ、彼ら彼女らは総じてみんな幸福そうだ。そして、とにかく自分の歌を聴いてもらいたい、という前向きな思いをストレートに歌に乗せている。
 そんな路上ミュージシャンを見ると、オレは何だかいたたまれないような気分になる。そいつらの演奏が、ギターを弾けていたころのオレと同じくらいのレベルだったりするとなおさらだ。いたたまれなさが倍加するような気がする。オレはなるべくそいつらを見ないように、しかし耳はしっかりそいつらの演奏を聴きながら足を早めて通り過ぎ、次の目的の穴倉のようなBarへと向かうのだ。
 したたかに酔い、家に帰り着くと、倒れるように寝る。そして夢を見る。病を得るはるか前の若いころ、仲間たちの前でヘタクソなギターをかき鳴らしている。あるいは、今のオレが、リウマチになどなっておらず、人前で弾き語り喝采を浴びている。目の前の席では、あのころの彼女が微笑みながらオレを見ている。そしてそのまま泥のような深い眠りに沈み込む。やがて目が覚める。手を見ると、妙な方向にひん曲がった指と、固定されて動かない手首がそこにある。
 まだ酒の残るぼーっとした頭で、こんなことを思う。ガキのころからちゃんとした教室でギターを習ってたら、もう少しましなギタリストになれていただろうか。大学を出たときあの会社を選ばなきゃ、リウマチなんぞにゃなっていなかったんじゃないか。死んだ子の年を数えるような詮ない思いが、二日酔いの頭の中をぐるぐるとめぐり続ける。

(つづく)


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