東京で海へと走った日記、5月某日、晴。
3月からずっと、マスクを付けながら走っている。
ここ最近は、人を避ける回数はかなり増えたし、肌が弱いので汗で膝の裏がかゆくなるしで、日に日に走るのが億劫になってくる。マスクにハッカ油を垂らした時は、匂いが合わなすぎて、でも家に帰るのも面倒で、泣いた。この時に使った、HAKKAと書かれた小型のスプレー×2(5月末に買って机の上と玄関に置いた)は、まだ1回しかプッシュしていない。
どうも、これから夏日らしい。コットンのTシャツがわずかに重くなる程度の汗で、青空の東京を走り、マスクをしている人たちを観察できた日々が懐かしくなる。歩くより走るほうが、一度にたくさん観察できるのだ。次にそんな贅沢なランニングを楽しめるのは、もしかしたら今年の秋になるかもしれないし、事態が収束すれば、もうしばらくは訪れないかもしれない。そうあって欲しいが、懐かしいものは懐かしいので、ここに書いておくことにした。
5月某日、日の入の3時間ほど前から、海が見たいと思って走った。この数日前、ランニング仲間がシェアしてくれた、朝焼けを映す海辺に1,000いいねほど押したくなった事がきっかけだ。更新時にしか免許を使わない人間であり、公共機関も使わないと決めていたので、海を見に行くにも走るしかない。片道は19kmあったが、1,000いいね分なので気にしないことにした。
新宿付近からひたすら南下して大森海岸を目指す。ハッカで涙目になったのも、実はこの日である。マスクを公園で洗い、乾かしつつ体調を回復させつつ散歩し、再び走り出す、といったスタートだった。
日差しから道端の影へ、ぴょんと飛び移る人。白いレースがさわやかなノースリーブのワンピースで、フチが長めの麦わら帽子を持っていた。後ろ姿しか見えなかったが、ブルーのストライプ柄のマスクとかで、コーディネートを決めているかもしれない。後ろから父親と子どもが追いかけてきたので、堅実に使い捨てのマスクをしていたかもしれない。家族は同じマスクで統一されている傾向にある。(3月〜6月で都内を600km走った体感値より)
信号が赤の間も常にジョギング中の、頭から靴の先まで色とりどり、ブランドとりどりのランナー。マスクもおそらくスポーツ用のもの。清潔感あふれる角刈り、まっすぐな目線。ガードレールに寄りかかり、手持ちのお茶をぐびぐび吸いながら、心のなかで応援した。
また別の信号でだらだら休んでいると、エルフ族のような顔立ちの人が日傘をさして通りすがる。ゴスロリ調のモノトーンのコーディネートは、スカートとブーツが決まっている。そして、マスクだけはカラフル。確か、淡いグリーンと苺の柄。久々の外出を謳歌しているのだろうか。
前から自転車、自転車、自転車。キッズ、キッズ、パパ。子どもと大人でサイズは違えど、みんな同じマスク。もはや3兄弟。
家族は同じマスクをしがちという仮説が立つ頃には、今度は二人組のマスクが気になってくる。距離感が近いカップルが同じマスクをしていると、同棲しているのかな、と妄想。別のマスクをしていると、久々に会えたのかな、と妄想。
表参道付近、おそらく中国語で話している二人組は、ノズルのついたマスクをお揃いで着用。クラウドファンディングでよく見たタイプ、初めて見た。ガジェット好きの片割れが買い揃えたのだろう、と妄想。
明らかに年が干支一周以上離れていそうな二人組だと、もっと二人のマスクが気になる。渋谷付近、アイドルのような雰囲気の人と、白髪をきれいに刈り上げている人、同じマスク。しかし、家族のような距離感には見えないが…と、これまた妄想。
マスクと人間関係についてあれこれ考えているうちに、海に着いた。思ったよりも人工的だけど、身体を冷ます風をマスクを外して楽しんだ。
スマートフォンのスピーカーで音楽を垂れ流し、半裸で筋トレを繰り替えす細マッチョが気にならない場所へ移動し、しばらく小さな波と海面をはねる魚を眺めていた。
とある女優さんが24時間で消える投稿に書き落とした、「世界が一つになりませんように」という言葉と共に、往路ですれ違った人たちを思い返した。