マイケル・ジャクソンとマドンナ (よしなしごと)
久しぶりに、マイケル・ジャクソンの「ビリー・ジーン」を聴いた。彼の曲のなかで、リズムもメロディの展開も一番カッコイイと思う。
しかしこの曲を和訳、何てヒドイ内容なのかとびっくりした。ざっくりまとめると、「ビリー・ジーンという美女にハメられた。彼女は僕の恋人ではないし、彼女の子どもの父親は僕じゃない」だってさ。
一説によると、人気者だったジャクソン5にはグルーピーがついていて、マイケルの兄たちにこういうスキャンダルがあったとか無かったとか。ま、何にせよそういう出来事を歌にしちゃうところも、ショービジネスなのかな。
で、この曲を聴きながらふと思い出したのがマドンナの「パパ・ドント・プリーチ」。こっちは「父さん怒らないで、私には彼との子どもができたの。子どもは産むって決めたから」
「ビリー・ジーン(1983)」と「パパ・ドント・プリーチ(1986)」、これらの曲には何の関係も無い。しかし同時代を彩ったポップスターの名曲に、性をめぐる男女の意識や性差を感じずにはいられない。
ビリー・ジーンの赤ちゃんは、きっと別の男の子どもだろう。身に覚えの無いことで強請られる男の立場は情けないが、同時にそれをネタにする女も女だ。しかし女性としては、こんな下品な女をネタにした曲は作らないし歌いたくはないだろう。
パパに許しを乞いつつも、自分は愛した男の子どもを産むと決意する。この強さは女にしか表せないし、女ならではの作品だと思う。
マイケル・ジャクソンもマドンナも、当時を代表する大スター。亡くなって12年も経つマイケルは、作品の中で生きている。片や今もパワフルなマドンナ姐さん、還暦を過ぎてもイケイケである。対照的な2人の全盛期を知っている事が、なんとなく誇らしく懐かしい。