100分de名著“百人一首”(2)古典文学への入り口
11/11(月) 午後10:25-午後10:50
公式サイト
日本人でも理解にとまどう「百人一首」に駆使された技巧を外国人ならではの視点で易しく解きほぐすマクミランさん。限られた制限の中で、これらの技巧が限りない表現の可能性を開いていくという。もう一つの特徴は「はかなさ」。西欧の美的感受性が永遠性・無時間性を重視するのに対して、日本のそれは人生のはかなさ脆(もろ)さに美の本質を見出そうとする。第二回は「技巧」の意味と「はかなさ」をとらえる美意識に迫っていく。
(以上 公式サイトより)
百人一首が好きだ。
小学生の頃「うわさの姫子」という漫画を読んでいて、その中に百人一首が出てきたのが初めての出会いである。
とりあえずカルタを買ってもらい、一番から順番に覚えはじめた。とばしたり戻ったりしつつ、最終的には100首暗記した。
家族で取りっこし、小学校から高校までカルタ大会では負け無し。
競技的にも面白かったが、やはりそれぞれ歌の意味に興味を惹かれた。
もう数十年カルタはやっていないが、やはり百人一首は面白いというか奥深い。この番組を見て、日本人以外にもその技巧や歌の意味に惹かれるひとがいる事をとても嬉しく思った。
「ひさかたの光のどけき春の日に
しづこころなく 花の散るらん」
古文の教科書にも載っており、多くの人に馴染みのあるこの歌。この番組で久しぶりに再会した気分だが、なんと凄い歌なのかと改めて思い知らされた。
のどかな春の日、陽の光を浴びながら昼寝でもしようかとのーんびりしている私
なのに、風が吹いて桜の花びらが散り急いでいる。
こんな風に現代語訳すると大した事ないのだが、今の私には涙出そうなほど感激してしまう。
悠久かと思えるほどまったりした陽だまりに、はらはらと桜の花びらがスピード感をもって散っていくのだ。この時間的な対比、若い頃は何とも思わなかったのに、歳をとったせいか何とも切なく感じるのだ。
ずっと一緒にいられると思っていた友が、急がなくでもいいのに若くして亡くなるとか。そんな風に思えて仕方ない。
かつて覚えていた頃から、今は何首が脳内に残っているのだろう。ボケ防止兼ねて、書けるだけ書いてみようと思っている。