「姉の死はむだではない アウシュビッツ 女たちの“サボタージュ”」 (BS世界のドキュメンタリー)
80年前の1月27日に解放されたアウシュビッツ強制収容所。そのわずか2週間前に4人の若い女性が絞首刑を執行されていた。彼女たちが企てた知られざる抵抗活動とは。 1944年アウシュビッツ強制収容所で死体処理用の焼却炉爆破事件が発生した。実行犯はすぐに射殺。共犯者として10代と20代の女性4人が処刑されたのは、収容所解放のわずか2週間前だった。「生きて帰れないのなら死をもって成すべきことをやろう」という思いで軍需工場から火薬を持ち出していた女性は4人以外にも。知られざる物語をアニメーションで描く。 原題:Sabotage(イスラエル 2022年)
(以上公式サイトより)
ナチスドイツがアウシュビッツで行った非道は、これまで様々な映画やドラマ、書物やドキュメンタリーによって明らかになっている。
しかし今回の、収容所内の若き女性たちが起こした反乱について。私はこの番組で初めて知った。
つい先日ガザでの停戦が発表されたが、2023年10月から一体どれだけの人が犠牲になったのか。今やイスラエルは悪の帝国だ。
この一年、ネタニヤフはパレスチナ人へのジェノサイドを行ってきた。罪も力もない子どもたちまで巻き込んで、避難所まで攻撃する野蛮を尽くした。
収容所で「ユダヤ人国家を作りたい」と切実に願っていたユダヤ人が望んだのは、あんな残虐な国家ではないはずである。それなのに、どうして悲劇は繰り返されるのか?
国同士のいざこざというよりは、アホなトップの気狂い行動を止められない、周囲の無能さが為せる業としかいえない。
番組内でヒトラーに熱狂する民衆な姿が映ったが、私にはそれがトランプに熱狂する民衆と重なって見えた。怖い。危険だ。何とかしなくては。
そんな現状と重ねつつ視聴したこの番組。
二十歳前後の乙女たちが直面した戦争の悲劇は、国が違っても共通する痛ましさがある。
「どうせ生きられないのなら、せめて意義のある死に方を」
そう願って反乱を起こしたものの、死が目の前に迫ると、嫌だった単純作業やちょっとしたお茶の時間を思い出し、生きたいと願う女性たち。
それが人としての本能だと思う。
姉の死を認識し、自分も死のうと思いつつも、いつも通り起床して歯を磨く妹。"それでも生きていく"というのは、まさにこういう事なのだろう。
「人が人に対して、ここまで残酷になれるものなのか」 アウシュビッツだけでなく、戦争関連の資料を目にして思う共通の感想である。
ここにAIが入り込んできたら、もう人という概念さえも吹っ飛んでしまうだろう。恐怖しかない。
ほんの5年前に、新型コロナという共通の敵に対峙して乗り越えた私たち。なのに、今度はお互いで殺し合うのか?
陰陰滅滅たる気分になったが、それでも生きていかなければならない。絶望せず立ち向かうために、悲劇を教訓にするしかないのかもしれない。