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自身の個性による"可能性"を否定しない

自分自身の個性による"可能性"を否定しない生き方をする。つまり、自己選択的な生き方。
今の社会を見ていると、自分の個性は大切しすぎるあまりに"好奇心・興味のままに生きる"行動が損なわれている気がする。

過剰な"自己肯定の願望"が、アイデンティティと合致した自分だけを迎合して、そぐわない自分は排除したがる。これが何の影響をもたらすかというと、自分を"自分"を否定し自己肯定感を下げる要因になること。「自分」という人間が秘める可能性を狭めることだ。

現代の「個性を尊重する生き方」というのに、警鐘を鳴らしたい。

個性(アイデンティティ)を的確に認識する

外向性が高い人、内向性が高い人。開放的な人、閉鎖的な人。世の中、本当にいろんな人がいる。
これらの個性(アイデンティティ)というのは、他人が持ち得ない唯一無二のモノ。

アイデンティティというのは生涯自分と一生付き合っていく、いわば"自分を構成する材料"だ。

端的に例えるなら、カレー。カレーといっても、夏野菜カレーと本場インドカレーで使用するスパイスや野菜、肉の種類は違う。夏野菜カレーは夏野菜を使用するから"夏野菜カレー"というアイデンティティが保たれるし、インドカレーに関しても本場で使用されているスパイス等を使うからこそ、"インドカレー"というアイデンティティが保てる。

自分のアイデンティティを認識することは、自分を知る第一歩。アイデンティティは生まれ持った特性だけでなく、経験や好き嫌い、得意不得意といった全ての要素から成り立つ。

苦手や欠点も無理に否定せず、それを含めた"自己"として認識していく。日常を過ごす中で自分はどういう心の動きをしているかをボーッと眺める意識で観察して、自分らしさを感じられる場面から「自分」という欠片(材料)を拾い集めていく。そうしていくことで見つけた"自分の材料"を大切にしながら、新しい挑戦を通じてさらに深めていくことが、人生を豊かにする鍵となる。

興味が示す"針の先"に従う

自分の個性というのは、自らの可能性と人生を切り開いてくれる「北極星」的な存在
あれやこれや、と考えるよりも、直感に従い、先に手を動かす。

もちろんコンフォートゾーン(安全地帯)から一歩を踏み出すのはとても勇気がいる。だけど、その一歩さえ踏み出せれば、そこから生まれた経験が自分自身の知見や可能性を広げる
とにかく好奇心を死なせてはダメだ。身近な興味を大事にして、「やりたい」と思った気持ちを大事にする。自然に湧き出た気持ちを肯定し、実際に行動することが"自分を肯定する"ことに繋がり、そして可能性を木の枝のように広げてくれるから。

個性的でなくても良い

別に周囲と同じでも構わない。別に打たれない杭になろうとするのも構わない。
それは自分の意思決定によって齎されるもので、他人から否定されるものでは無い。

今のSNSを見ていると、"同調圧力"と称して「皆と同じことを選択する」ことが悪いものだ、と吹聴されていることが多く見かける。一方で、「自己を確立して一人の個性を活かす生き方が正しい」のような"過剰な個性主義"の主張が広く(特に10〜20代)浸透している気がする。

ただ、一方を悪とし、もう一方の主張を善とする二元的な価値観は、
本当に肯定されるべき価値観なのだろうか。

どちらの生き方にせよ、個人が描いた思考の中で判断したのならば否定されるものじゃない。むしろ前述した二元的な捉え方こそが、片方の可能性や考え方を否定する差別的な態度。

何事にも否定はしない。
他人の判断に対して、"第三者が否定する権限はない"ことを頭に入れておく。

"小さな好奇心"を潰さず、可能性を模索する

自分の価値観、社会的風潮が絶対的な善ではないし、少数派が悪でもない。自分たちがただやるべきは、"自分の個性を認識し、自分の可能性を先入観や偏見によって否定せず、興味を大事にする"。つまり「小さな好奇心を潰さない」こと。

好奇心(興味)から行動が生まれ、行動から実現可能性が生まれる。

人生はどんな結末を迎えるかわからない。だけど、「どんな結末を迎えるか分からない」ということ自体へネガティブに捉えず、ポジティブに捉える。自分の人生の舵を握る。人生の舵を握った瞬間から、小さな喜びが芽生えるのを感じるはず。

こういった自己アイデンティティに関する「思考」「ちょっとした知恵」などを、1500文字程度(5〜8分くらい)に纏めて投稿しています。詳細は私のプロフィールへ。マガジンもあるので興味のある方はぜひ購読してみてください。

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