最近怒った記憶がない。アンガーマネジメントのおかげ?!
今日のお題は「最近怒ったこと」。
ただ、直近の記憶を思い返してみても、怒った記憶が思い出せないのです。困った。
どうやら私は普段あまり怒らないもよう。今回考えてみて不思議に思うほどで、そしてそれは決して人間ができてるなとど言うつもりはなく、喜怒哀楽があるのが健全だと思います。では、怒りが薄いというのはなにか欠けているということでしょうか?自分でも若干不安になります。怒るを事典で調べてみると、「腹を立てる。憤る。」とありますが、はてさて?
怒った記憶を考え絞り出したら、5年以上前に道端で果物を売っていた20代の男性に失礼な態度をとられたということがありました。オレンジだったか桃だったかよく覚えてませんが、ランチの時に通りかかり商品を覗いたものの、買わなかった。その時に「は〜い、冷やかしありがとうございま〜す」と言われたのです。言い方もとびっきり感じが悪かった。あれは今思い出しても不愉快でした。
でも、それが怒りかと言われると自信がありません。不愉快には感じました。そんな態度をとられたことはそうそうないので、ぎょっともしました。あとそんな態度とってたら売れるもんも売れないだろうと、接客営業としてなってないなと思った記憶もあります。お客さんはもしかしたら今日買わなくても明日来て買うかもしれないのに。それをわざわざ自分でダメ押しでチャンスを潰すって。
改めて振り返ってみると、不愉快には感じたけど、私の人生に今後関係ない人だしという割り切りもあったように思います、いらいらすることは忘れるに限るというか。繰り返し思い出していると記憶により強く定着しそうで嫌です。怒るのは疲れるからそんな労力をそこに割きたくないし、メモリがもったいない。ついでに言えばそう言う人は結局成功しないし、因果応報というかカルマってありますよね。
こうして考えてみると、分析脳が怒りが薄い一因なのかもしれません。きっと初めは怒りもあるんだと思います。でもなぜとか背景とか考えている間に、感情が昇華される。あと、怒りにはなにか他の感情が隠れていることが多い気がします。悲しいとか、傷ついたとか、蔑ろにされている気がするとか。だから、自分で考える時に怒りという着地で終わらせないようにしています。隠れている気持ちを慰めたり解消させないと根本の解決にならないから。
そういえば7〜8年前に、勤めていた会社でアンガーマネジメントの講習を受けたことがありました。正直昔すぎて内容はカケラも覚えていないですが、今の習慣がそこに端を発っしている可能性はあります。そうだとしたら心穏やかに過ごせて感謝です。
書く習慣1ヶ月チャレンジ中です。
8日目の今日のお題は「最近怒ったこと」でした。
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