古畑奈和とポジション
先日、我が家のテレビでYouTubeの「ソーユートコあるよね?」の練習動画を観ていたんですね。
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メンバーが元気に踊る姿を見ながら、古畑奈和の動きが気になりました。
彼女の動きは滑らかさの中に鋭さがあり、2019年にリリースされた「FRUSTRATION」でセンターを経験した彼女が、センターの須田亜香里を支えるツートップのポジションで踊る姿は、頼もしさと個性があり、「やっぱりセンターを経験した人は違うなあ、よく分らないけど自信と表現力があるなあ」と百億人ぐらいがすぐに思いつくことを考えていました。
さらに、「恋落ちフラグ」でのジャージの上着を羽織った背中の色気。
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ううむ、どのポジションに居ても目を惹かれてしまう彼女のパフォーマンスの素晴らしさ。
今回は、彼女が考えるポジション観とそこから見えてくるものについて考えてみたいと思います。
まずは、彼女が目指していたセンターについてです。
2016年7月17日の彼女のブログを読んでみましょう。
「ソーユートコあるよね?」とはフォーメーションが違うものの、1列目を任された彼女の意気込みが伝わってきますね。前列に来るからには、SKEに興味を持ってもらえる入り口になりたい。
しかし、この曲の歌い出しは、珠理奈がセンターで後ろに6期生に北川綾巴、7期生の後藤楽々という配置です。センターに近いポジションではあるものの、時代の風は彼女に必ずしも優しくはありませんでした。
それでも、現場でのセンターを少しずつ彼女は任されていきます。
2016年8月7日のブログを読んでみましょう。
いつものポジションとセンターで感じる声援の違いを体感することになります。
ただ、この頃、彼女がセンターを務められているということは、誰かの代役であることになります。そう、不動のセンター松井珠理奈がいました。
まず、彼女の仕事に対する誠実さが伝わってきます。
中途半端な努力で、「センター」という言葉を口にしたくない。
自分自身には何もないから(客観的に観るとめちゃくちゃあるでしょ、とツッコみたくなりますが)、努力で自信を生み出していくしかない、努力しているからこそ、センターに立っているメンバーとの差も見えて来る。
自分のファンの方々の声に甘えずに、客観的に自分を見てる彼女の視線を感じます。
自分が成長することで、先輩メンバーの脅威にもなり、SKE48の底上げにもなる。
そして、この頃の奈和ちゃんのセンターに対する特別な思いは、他のブログでも見られます。
2016年11月25日のブログを読んでみましょう。
アイドル古畑奈和のセンターへの思いと、人間古畑奈和の葛藤がない交ぜになっています。「頑張れば〇〇」という言葉の残酷さと無責任さを僕らに認識させられます。いったい、何をこれ以上頑張れば良いのか、と感じてしまう当時のSKE48自体の閉塞感も僕は感じます。それでも、「陽を見る日」を信じて彼女は頑張ります。
2017年1月22日の彼女ブログでは、後ろから見る同期のセンターと自分がセンターを任された曲について書いています。
2015年のSKE48リクエストアワーで、卒業した松井玲奈の代役としてセンターを任された「前のめり」についての過去の回想の箇所と「12月のカンガルー」の後ろのポジションでも同期のことを誇りに思う箇所が印象的です。
アイドルという競争社会の中で、他者のことを誇りに思えるのは、何故でしょう。
この辺りは後で触れるので、引き続き彼女のポジション観について見て行きましょう。
2017年5月27日の彼女のブログを読んでみましょう。
ギリギリ歌番組には出られたことに悔しさを感じるものの、「SKE48の古畑奈和としてAKB48に踏み込む」というのは、かつて兼任をしていて志半ばで終わった目標の再構築だったのかも知れません。
さらに、2017年6月9日のブログを読んでみましょう。
SKE48という組織のことを思うと新しい風を入れて行った方がいい、だけど、一人のアイドルとしての自分のことを考えると、というアンビバレントな気持ちの中で彼女は葛藤します。
その反面、この時代のブレイクスルーが総選挙しかなかったのか、というSKE48の選択肢の貧しさを感じます(結果として彼女にプラスに影響するから良いんですが、選択肢は多い方が良いと思うんですよね)。
※「願いごとの持ち腐れ」選抜については、時間のある方はこちらもどうぞ。
2017年7月19日のアメブロでは、7期生の小畑優奈がセンターを務める「意外にマンゴー」のリリースイベントについて書いています。
毎回の積み重ねが彼女をフックアップしていくことが分かります。
今回のシングル表題曲のセンターにはまだ届いていないものの、松井珠理奈が居てもシングルのセンターを任されるところは、大きな前進ではないかと思います(セットリストの順番もあるかもしれませんが、それでも珠理奈の性格から推察するにセンターを任せるメンバーは限られると思います)。
それから、2か月ほど経った2017年9月7日の彼女のアメブロでは、再び、センターについて考えています。
センターに立つ理由とは何か?
自分がこのポジションを任せられるのは何故か?
ブログの中ではっきりとした答えは出ていませんが、その答えは2年後に同期の江籠裕奈が出します。
古畑奈和がセンターが発表された日の江籠ちゃんのブログを読んでみましょう。
「わたしね、奈和ちゃんがいるから頑張れてるよ」
何気ない一文ですが、誰かの頑張る理由になれる、これがセンターを任せられる理由ではないでしょうか?
江籠ちゃんのブログの中で、「何度も口にしてきた」ということを書いていますが、ここまで読んできた読者の方々も奈和ちゃんのセンターへの思いを感じているのでは、と思います。
順番が前後しますが、彼女のセンターへの思いはずっと心の中で燃え続けます。
2018年10月14日の彼女のブログを読んでみましょう。
奈和ちゃんが2016年頃のブログでは、SKE48の未来を考えて自分がセンターに拘ることに迷いがあったかも知れませんが、この頃は遠回りして自分の夢をしつこく追いかけることを書いています。
諦めずに夢から目を逸らさなければ、夢が叶うという奈和ちゃんのアイドル人生は、ベテランメンバーたちに希望をもたらすだけではなく、芸能の世界とは違った日常を生きている僕らにも「いや、でも奈和ちゃんは諦めずにやってたしな」という一つの指標になるのでは、と思います。
※ 時間がある方は同期の菅なな子との関係とセンターについてのブログもどうぞ。
ちなみに、センターに立った後の奈和ちゃんのブログを読んでいると、自分のセンター曲を大事にしていることも分かります。
さて、ここまでは古畑奈和という人のセンター観を見てきました。
ここからは、センター以外のポジションについて見て行きましょう。
奈和ちゃんは、AKB48での兼任経験の際にSKE48とは違うポジションを体験しています。なにせ、当時のチームKやチームAはスター選手揃いでした。
続けて二つ読んでみましょう。
二つ続けて読んでいただいたんですが、二つ目の佐藤亜美菜さんのポジションのアンダーをする記事が凄く良くてですね。「あまめぇちゃんと一緒に頑張っているの」という表現が、彼女の独特のアンダー観が伝わってきます。こういう視点でアンダーしているメンバーが他に居たら教えて欲しいぐらい素敵な視点だと思います。
ここまでは、チームKでの体験ですが、チームAでの彼女のポジション観も素晴らしいので、読んでみましょう。
「後ろから数えた方が早いポジション」であろうと、SKE48の名前を背負って全力で踊る。そのことは、「私のパフォーマンスが嫌いな方」を生み出してしまうかもしれない。それでも気持ちが伝われば、という彼女の意識。
この意識は兼任の終わりの際に書いたブログでも触れられています。
「でも私はSKE48です」という言葉に泣きそうになりました。
自分がどこから来たのかを大事にしている奈和ちゃんの思いが伝わります。
さらにAKB48の一員として盛り上げたいという思い。
それは、儚く終わってしまいましたが、この彼女の「利他」の精神は本当に素晴らしいと思います。
ブログの最後の「SKE48の古畑奈和としてAKB48」に食い込むという野心もここで刻まれています。
今、「利他」という言葉を使いましたが、奈和ちゃんのブログには「支えたい」、「役に立ちたい」という表現もよく出てきます。
中でも2014年11月4日のブログが印象的です。
ここまでずっと追ってきた「センター」になりたいという思い、そして、それと同じぐらい彼女の中にある「支えたい」という思い。
それはセンターのメンバーだけでなく、多くの人々を。
東京工業大学科学技術創成研究院「未来の人類研究センター」長であり、リベラルアーツ研究教育院准教授の美学者、伊藤亜紗さんが、哲学者の國分巧一郎さんや政治学者の中島岳志さん、批評家の若松英輔さんや小説家の磯崎憲一郎さんとの研究の成果を寄稿した「『利他』とは何か」の中で、「利他」の難しさについて書いています。
びっくりするぐらい雑に説明すると、利他の行動の本質には「これをしてあげた相手に利になるだろう」という思いがあります。これはする側の「思い」です。
しかし、うっかりすると「これをしてあげるんだから相手は喜ぶはずだ」になったり、「相手は喜ぶべきだ」という支配に変わりかねません。
相手を信頼して、言葉を押し付けすぎずに、時には無言で行動のみで示すことも必要だそうです(インドなんかは文化としてそうだと中島岳志さんはご自分の体験を書いています)。
また、うっかりすると志賀直哉の「小僧の神様」やチェーホフの「かき」のように「哀れみ」が生まれてしまうこともあります。
でも、奈和ちゃんの「利他」は本質からずっと離れていないと僕には思います。
どこのポジションに居ても、彼女はグループやファンの方々の為に頑張ります。
それは、たとえ負けてしまうかもしれない戦いでも。
48グループの中には、幼少期からダンスに親しんだメンバーも多いです。ダンスが最初から決して得意ではなかった彼女が、表現力を手に入れて活躍していましたが、こうした決められた型の中で競うのは不利だろうな、と今ならば思います。
しかし、2019年ヨーヨー世界大会A1部門で、キーラン・クーパーが勝ち負けではなく、観ているファンの為に最高難易度の技に挑戦する姿を思い出しました。そういえば、彼も得点では優勝できませんでしたが、一度は失敗した最高難易度の技をもう一度ステージで決めて多くのファンの喝采を浴びましたね。
勝ち負けという自分の利己からいったん離れて何か別のもののためや誰かのためにパフォーマンスする。
この奈和ちゃんの姿勢に心を打たれた奈和ちゃんファンや他のメンバーのファンの方も多かったのではないでしょうか?
2021年8月現在、AKB総選挙はなくなっています。
AKB48選抜もAKB48単独になりました。
競争の時代は終わりをつげ、今はグループの中で様々なことを共に創っていく協奏の時代が始まったと僕は考えています。
その新しい時代の中でも奈和ちゃんは、きちんと適応して自分やSKE48をアピールしていきます。これが出来るのは、ひょっとすると、彼女の根底にある考えがずっと変わっていなかったからなのかも知れません。
もう6年前のブログですが、彼女は今の時代を先取りしていたかのようです。
今、SKE48は何度目かの変化の時期に来ています。
新センター林美澪はまだ若いです。
きっと新しいセンターを支えつつ、彼女はどのポジションに居ても、自分や先輩から受け継いできたSKE48のパフォーマンスを表現していくでしょう。
彼女が多くの人に与えた幸せが、今度は彼女が予想もしなかった幸せになって現出しますように。
※ここまで読んで、まだまだ古畑奈和ちゃんについて考えたいというあなたには、こちらもおススメですよ!
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