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ひかりさす

 皆さんは、アイドルのパフォーマンスで心を動かされたことがこれまでに何度あるでしょう?
 

 そのパフォーマンスに辿り着くまでのアイドルのドラマが、踊る姿に重なり涙することもあれば、曲の世界観のヴィジュアライズ化が素晴らしいことに涙することもあります。
 前者の例を挙げると、SKE48のリクエストアワー2015で「前のめり」のセンターである松井玲奈ポジションを古畑奈和ちゃんが務めた時です。この時は会場のファンの奈和ちゃんコールを含めて、「ああ、やっと報われる」と涙したものです。後者の例は2016年に行われたSKE48の一人10分のソロコンサートにおける古畑奈和ちゃんの「10クローネとパン」です。20世紀後半のアメリカ文学で描かれたような絶望的な状況の中に微かに光る希望の美しさと、主人公の儚さを感じさせる素晴らしいパフォーマンスでした。

 他にも挙げて行きたいところですが、次の機会に譲るとして、かように古畑奈和という人はドラマ性もパフォーマンス性もどちらも曲の中に背負える稀有な存在でした。


 2022年5月17日。

 古畑奈和ちゃんは卒業発表します。

 ファンの方によっては、「まだ居て欲しかった!」という方もいらっしゃれば「前々から予感していた」という方もいらっしゃるかと思います。
 僕はというと、遂に来たかあ、という感じです。

 古畑奈和ちゃん推しでもない僕がこんなことを書くのは、生意気だな、と言われてしまうかも知れませんが、彼女の才能は既に48のルールの枠組みからはみ出ていると数年前から感じていました。彼女の才能に見合った仕事がもっと増えていればなあ、というのが率直な感想です。近年では48グループの歌唱力コンテストもありましたが、彼女のライバルや目指すべき対象が、ある時期からもう居なくなってしまったのではないか、と思います。それはそれで平和で良いことなんですが、古畑奈和を燃えさせるような後輩やイベントがあればまた違ったのかな、とも思います。

 ただ、周りに揺るがない強さが奈和ちゃんの魅力でもあると思います。

 

 2022年8月6日。

 彼女の2枚目のソロシングル「ひかりさす」が発表されます。

 ちょっと聴いてみましょう。

 皆さん、いかがでしたでしょうか?
 僕の第1印象は「映画の3幕構成みたいな作りなのかな?」ということです。

 「ひかりさす」から始まる穏やかなバラード部分で最初と最後を挟むことで美しい円環構造になっていますし、旅立つ穏やかな気持ちを表しているようにも見えます。


 まずは、歌詞の世界から見て行きましょう。

 1幕目は、地平線が見える場所で風に頬を撫でられるこの曲の主人公は、ひかりさす彼方を目指すことを決意します。

 ここから分かることは、地平線まで見えていて風通しも良い場所、つまり、さえぎるものの無い自由な場所や立場を主人公が手に入れていることが分かります。


 さて、ここから曲が変調します。第2幕の始まりです。
 「ガンダムOO」のエンディングテーマのTHE BACK HORNの「罠」を思い出す激しいメロディです。

 さて、歌詞の世界に戻ると「暗がり」で「センターステージを目指してたあの頃」のことが語られ始めます。「暗がり」ということはひかりがささない、つまりスポットライトがまだ当たらないステージの端の方の話かも知れません。
 それでも見つめてくれる「キミ」の笑顔のおかげで主人公の「私」は進んでいきます。

 ここで、今でも「キミ」が大切だからこそ「ありがとう」というお別れの言葉は言いたくない(かおたんの卒業曲がそういえば・・・)、未来へかけて行く私を忘れないで欲しいと願います。


 さて、そこから「私らしさってなんだろう?」、「私にしかできないことは?」と自問自答するもあの頃は答えが見えなくなっていました。
 やがて、それは周りから解放される方へと意識が向き始めます。

 「窮屈なほどに」という表現をわざわざ入れてから、「あの子の笑顔」に眩しさを感じ、自分の笑顔は嫌いになってしまいます。

 ここでいう「あの子の笑顔」は特定の誰かではなく、正統なアイドルの笑顔なのかな、と僕は解釈しました。そうすると「窮屈なほどに」を足した時に、曲の主人公が普通のアイドルの枠に収まらないことがこの後の展開からも明確化してきます。

 「同じ服」、「同じ歌」、みんなと同じにしようとしても同じにはなれない自分がいます。そして、それこそが誇るべき自分である、という発見をしていきます。このことを教えてくれたのは、「キミ」であると歌詞の中で語られます。笑顔で見守ってくれていた「キミ」が、みんなと同じになれない主人公を肯定してくれます。

 この辺りは、とても48グループを意識させられる部分だと思います。
 確かに、同じ衣装を着て、同じ曲を歌いますよね。

 でも、その決められた枠からはみ出していく強い個性が曲の主人公にはあるわけです。


 そして、大サビです。

 1番のサビと重なる内容ですが、ここまでを聴いての大サビなので「キミ」との関係性の深さがより伝わってきますね。

 そして、「サヨナラ」ではなく心の中に「キミ」がいること、ずっと背中を見ていてほしいというメッセージが加わってきます。くじけそうな時も立ち上がれる「あの日の温もり」が心の中にずっとあります。

 やがて、第3幕。

 再び、「ひかりさす」から始まるバラード部分ですね。
 一人ではなく「キミ」の思いを胸に刻んで、「ひかりさす」彼方を目指すことが示されます。

 ううむ、こうして書いていくと、これまでの「オルフェス」や「Dear 君とボク。」と比べると非常に私的な歌詞だと思います。

 作詞作曲を担当した黒沢薫さんと色々とお話をして出来た歌詞だそうですが、まさに彼女のアイドル人生を表した素晴らしい内容だと思います。

 特に自問自答して答えが出ないところが印象的で、AKB48で兼任を経験した彼女の「48グループの為に何かしたい!」という思いと突然の兼任解除を僕は思い出しました。私的な内容ではあるものの、今、悩んでいるアイドルやファンの人にも寄り添える歌詞になっているとも思います。



 メロディも非常にトリッキーで、歌声さえも楽器の一つなのではないか、と思わせる印象的なものになっています。
 MVに関しては、赤のドレスが印象的でした。奈和ちゃんの眼差しを感じさせるカットも後半に行けば行くほど増えて素晴らしかったですね。ただ、他のメンバーの卒業曲MVを考えると、もうちょい予算かけてくれても良いのでは、と思ったのは僕だけでしょうか?


 さて、卒業には2種類の卒業があると思います。

 あれ、今卒業するの?大丈夫?という卒業とこの子なら大丈夫だろう、という卒業です。

 奈和ちゃんは圧倒的に後者の卒業です。

 きっと奈和ちゃんなら、これからも沢山の「キミ」たちの力で「ひかりさす」方へ進んでいけると思います。

 やはり、古畑奈和という人の表現にはアイドルには収まらない何かがあります。
 それは今僕が思い浮かぶ言葉で表すなら「切実さ」です。今日、この舞台でこれを表現しないと、この人は死んでしまうんじゃないか、そんな危なっかしさと才能があると思います。その才能を彼女が加入した時から多くの理解者たちが守ってきました。SKE48でいえば番組での共演も多かった1期生たちでしょうか。きっと、SKE48の外でも彼女を理解してくれる方々が沢山いると思います。

 思えば、このブログで初めて奈和ちゃんのことを書いた時、「なんで、奈和ちゃんがこんだけ結果出してるのに、運営は扱いが悪いんだ!もっとみんな分かってよ!」という僕自身の「切実さ」から始まりました。きっと彼女は僕だけでなく多くの人にそう思わせる何かがあるんだと思います。

 これから卒業しても沢山の「キミ」という理解者たちに包まれて、才能を発揮していってほしいです。

※古畑奈和ちゃんについて書いた記事はこちら!


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