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続・20年代の「推し事」

※ この記事は「20年代の『推し事』」を読んでから読むと、更に楽しめます。

 今週の始めに2020年代に自分の推しとどう関わっていくかをテーマに「20年代の『推し事』」という記事を書きました。ありがたいことにまだ3日ほどしか経っていませんが、普段書いている記事の3倍のスピードで多くの方に閲覧していただいています。
 ただ、あの記事で一つ気にかかることがありました。
 それは、ファンがアイドルの仕事の場を作ることが出来る時代になった、という結論が、ちょっと「打ち上げ花火」的だな、と思いましてね。
 打ち上げ花火はお祭りの日に打ちあがる、滅多にない非日常的なものです。多分、ファンがやろうと思ったら、1年に1回出来るかどうかかも知れません(理想は半年に1回ぐらいだと思います)。
 だったら、日常的な「線香花火」や「手持ち花火」的な気軽に出来るけど、打ち上げ花火とは見る方向も楽しむ時間も違う何かを提示できないか、とここ数日間考えていました。

 思えば2010年代はアイドルとの距離がどんどん近くなった10年間だと思います。そのせいで様々な問題も噴出しました。また、48グループで見ると「選抜総選挙」という極限エンターテイメント(これを運営が実際に選挙の時に煽りVで書いていたから凄い)のおかげで、今までとは違う成功例やジャンプアップを沢山みてきました。自分の手で推しをパワーアップさせられるという感覚を味わった人も多いんじゃないでしょうか。

 さて、アイドルとファンとの近くて手応えのあるゲームは、時代の変化と疫病と共に変化していきます。
 総選挙は終わり、握手会もオンラインになりました。
 2021年10月現在、徐々にリアルで会える場は増えていきましたが、未だに握手は出来ない状況です。
 メンバーのジャンプアップの機会も減り、握手会の売り上げが物を言う坂道グループ的なコツコツ上がる方式が定番になりつつあります(例外はSKE48の新センター林美澪ぐらいでしょうか?)。
 遠く遅くなった今、どんな「推し事」が出来るでしょう?

 そこで僕がヒントにしたのが究極に遠くて遅くなった2020年の5月頃です。新型コロナウイルスの影響で多くのアイドルイベントが中止になり、推しと会えるのは配信が中心、ブログやTwitterなどへのリプでのやりとりが増えたメンバーもいましたね。
 この期間、僕らはこれまでの「当たり前」の時間が止まり、何かエアーポケットのような空白期間に投げ出されました。そして、この期間に様々なことを皆さん、考えたのではないでしょうか?
 自分の未来のこと、推しの未来のこと、グループの未来のこと。
 遠くて遅い中で楽しめることは何か?
 幸い、ワクチンの接種率も伸びて、徐々に元の生活に戻りつつあります。これはとてもありがたいことですし、喜ばしいことです。しかし、あの時感じたことも一緒にこれからの時代に持っていけないか、と考えました。


 そこで僕が提案する20年代の「推し事」を付け加えさせていただくと、「思考と発見」です。
 日常の中でいかに推しのことを考えて、新しい発見ができるか。
 民藝運動を20世紀に日本に広めた哲学者の柳宗悦は「茶道を思う」の中で本質を見失わせるものについて3つ挙げています。

「大方の人は何かを通して眺めてしまう。いつも目と物との間に一物を入れる。ある者は思想を入れ、ある者は嗜好を交え、ある者は習慣で眺める」

① 特定のイデオロギーを念頭に入れてみると、その物の価値と意味に思索が生まれにくくなるそうです。

② 「嗜好」、つまり好き嫌いが交じり過ぎると、正しく見られなくなるそうです。好きすぎると過大評価になるし、嫌い過ぎると良いところを見つけられなくなってきます。

③ 「習慣」に関しては惰性でみてしまったり、固定観念で「前と同じもの」と考えてみると本質がみえなくなるそうです。

 突然ですが、皆さんは自分の推しを誰かに紹介する時の定型文はあるでしょうか?
 相手の時間が無限にあるなら、こちらも無限に語りますが、お昼ご飯のちょっとしたひと時なんかの質問だとここでは仮定しましょう。僕は「SKE48の五十嵐早香さんを推していましてね。彼女は素晴らしい文章力と発想力を持っているメンバーなんですよ」と紹介すると思います。
 でも、本当にそこだけなのかな、とも不安になるわけです。
 多くの人が五十嵐早香さんの文章や発想力を褒めますが、彼女のSHOWROOM配信の切り抜き動画が200万再生を超えるという事態が先月に起こった時に、何か自分が見ているのとは違う視点で五十嵐早香さんを見ているのかな、と考えさせられました(コスプレとかセクシー要素があったとしても)。 
 タイムラインの潮目に乗って、「五十嵐早香さんに水着グラビア仕事を!」というのは簡単かも知れませんが、僕としてはまだまだ彼女の本質を考えていけるんじゃないか、と思いましてね。
 今週の発見としては、彼女が持っている多言語を喋ることが出来るというところが魅力的ではないか、と思いましてね。思い切ってタガログ語での創作をブログやTwitterにアップするのはどうか、他の先輩メンバーたちが簡単に捕まえられない層を捕まえられるのは、と期待できます。
 「みんなが褒めているから」というのは安心材料ですが、ひょっとすると発見を遠ざけることもあるかも知れません。否定するのではなく、選択肢を増やすという意味です。
 自分の推しの魅力をあえてもう一度、考え直してみる。
 他の分野にいる推しを想像してみるのも面白いかも知れませんね。

 「思考と発見」以外に「日常の中に推しを置く」というのも挙げてたいと思います。
 これはまだ実践の途中なんですが、STU48の1期生兵頭葵さんのおすすめの地を自転車で周るという試みをしています。

 僕の住んでいる愛媛県宇和島市に関するツイートをよくします。僕は平日が仕事で土日が休みなので、だいたい土曜日に取材に行って日曜日にnoteにアップします。
 もうこんなことをこの半年で17回ぐらいやっています。
 最初は「自分の町出身のアイドルがいるのかあ」ぐらいの気持ちで調べていました。失礼な話ですが、STU48はグループ名しか知らなかったですし、選抜メンバーも二人ぐらいしかいませんでした。
 でも、兵頭さんファンの方々のツイートから始まり、地元の方々の証言、自分自身も配信をチェックしていくうちに、愛着がわいてくるんですよね。
 時には、とても遠いところを彼女が紹介してくれる時があるんですが(往復で40キロぐらい)、自転車で走りながら「今、自分は何をしてるんだろう」と思いつつ、「観光」とか「聖地巡礼」とかいうと大袈裟なんですが、自分のペースで推しのお勧めを体感していく、この時間が僕はおススメです。単純に土地や名産に対する発見も増えます。
※そういえば、STU48の公式もnoteで新しいことを始めていましたね。



 他にも澤田奏音さんのファンの方は、彼女が紹介するご飯を食べてツイートする方をチラホラみます。
 また荒野姫楓さんの「ひめ家庭調理部」の料理を実際に作ってみる方もいらっしゃいます。
 「味覚」を通して推しの好きなものを体感していく試みが素敵です。

 上記の「推し事」の面白いところは、繰り返しできるということです。
 僕はこんなブログを書いてる関係で、毎週のように色々なメンバーについて調べて、考えてということをやっていますが、もっと気軽に「あのメンバーがこの曲歌ったらどうなるだろ?」とか「あんまり共感してくれる人は少ないかもだけど、推しにこういう可能性があるのでは」と週に1度ぐらい考えるのも面白いと思います。
 「思考と発見」から、自分にあった形で「作る」というのはどうでしょう?
 推しが好きな料理を作ってみる、推しが行ったところに自分も行くという体験を作る、推しの魅力を凝縮した動画を作る。それは10年代のスピードと比べると量は少ないかも知れませんが、質はぐっと上がるのではないかと思います。
 質が上がっていくと、1年後や3年後に触れても心を揺さぶられます。

 個人的に、ブログを書くモチベーションが下がったり、やる気が出ない時に何度も何度も観ている動画を貼っておきます。もう1年以上も前の動画ですが、未だに心を揺さぶられますし発見も多いです。

 

 これまでの「消費」の「推し事」から「作る」という推し事を日常の中で気軽に進めてみる、そうすることで、自分がこれまでしなかった行動の選択肢が増えて来る。そのうち「推し」という部分を抜いても自分の行動の一部になっていくかも知れません。
 20年代の「推し事」、あなたはどんな風に楽しみますか?

こんな大変なご時世なので、無理をなさらずに、何か発見や心を動かしたものがあった時、良ければサポートをお願いします。励みになります。