おすすめの映画「佐々木、イン、マイマイン」
「世の中には勝ち組と負け組しかありません。皆さんは、どちらですか?」と言ったのは、「バトルロワイヤルⅡ」の竹内力演じるタケウチリキでした。
あの言葉からもう20年近くたった日本は、更に格差が広がり、世界的なレベルでみれば分断が広がっています。
なんとか社会からドロップアウトせずに、自分の自己肯定感をほどよく感じる為に、「いいね」や「リツイート」を集める毎日。じっくり考えることは、少なくなり刹那的に誰かの動画に反応する。
感動を表す文章は「エモい」や「尊い」に画一化されていく。
SNS上での見栄えやマウンティングの為だけに、写真になっていく景色。
こんなにつまらない世界はないです。
多分、僕自身が今、無職という社会からドロップアウトした状態というのもあるんだと思うんですが、社会人の頃も、うまく行かない時、ふと昔のことを思い出すことが多かったです。
今回紹介する「佐々木、イン、マイマイン」も主人公の現在の時間と回想する佐々木との思い出が交互に描かれます。
先に予告を観てみましょう。
【ここからはネタバレ全開で書きます】
まず、前半で出てくる高校のパートが本当にキツくてですね。
僕が通っていた高校は工業高校でもうとにかく男だらけの空間だったんですね。まさに、あの佐々木みたいなやつがどこのクラスにも居て、佐々木コール的なことが日常的に行われていました。
今考えると、何が楽しかったのか分からないですが、「バカ」だったんでしょうね。佐々木も良い意味で「バカ」なんですよね。
もう、愛すべき「バカ」というか。
不器用がゆえに上手く生きられない。
ひょっとすると、お父さんもそうだったかも知れない。
佐々木の父が死んだあと、「佐々木コールしろよ!」のシーンでは、ひょっとして、佐々木って「友達」という空気の被害者だったんじゃないか…とふと考えてしまいますし、佐々木に感情移入したら、太宰治の「人間失格」の主人公ような気持ちであの教室に居たのではないか、と考えさせられました。
現代パートでの多田に説教されるシーンは、本当に耳が痛くて。
友達4人組のうち、2人は家庭を築いておそらく正社員として働いている。でも、悠二は役者になるという夢をまだ追いかけている。状況が変わってないことを説教されるシーンは、本当に辛かったです。
でも、「負けたくなくてさ」と何度も言う悠二の言葉が印象的で、自分は決して、まだ負けていないと言い聞かせているようで悲しくもありました。
映画のタイトルから、おそらく「佐々木は死んで心の中に居るんだよ」みたいな内容を予想していたんですが、ラストは見事に裏切られましたね。「佐々木の人生は、まだ死んでないよ、負けてないよ」という風に僕は感じました。
映画の序盤に出てくる3つのシーン。
① 一人静かに絵を描く佐々木。
② 上がスーツ、下がスリッパの悠二。
③ 「ロング・グッドバイ」の台詞。
この3つが、この映画の大事な3つの要素を伝えてくれていたのか、と映画の終盤に気づきました。
①は、死んだ佐々木の家に置かれた数々の絵。
パチプロという世間的には、あまり認められていない仕事をしながらも、社会から少し離れた家という場所に戻ると、自分の大事なものと向き合っていられる。佐々木という人物が美術部というのも意外だったんですが、学生の頃でも部屋の中をよく見ると、絵が置いてあるんですよね。
やっぱり芸術って、人間の尊厳を守るためにも大事なものだと感じました。
②の悠二の姿は、自分の伝えなければいけないことを伝えに、なりふりかまわず戻っていく姿ですよね。
直前の赤ちゃんを抱きながら「ごめん」と何度も言いながら涙するシーンは、色んな人に対しての「ごめん」なんじゃないかな、と感じました。
ちゃんと伝えることの難しさ。
③の「ロング・グッドバイ」の台詞は、最後の方で走りながら悠二が言うところで、芝居の台詞に現実の色が重なって、とんでもない説得力を持ったと僕は感じました。
青春時代に自転車で仲間たちと走った道を真逆の方向へ、自分の足で一人走っていく。僕はこのシーンがこの映画で一番感情を揺さぶられました。
余談ですが、悠二は芝居をしている時だけイキイキとした顔をしているんですよね。彼は、佐々木とは離れているんですが、須藤のような自分を気にかけてくれる人がちゃんといるんで、きっとうまく行って欲しいと思います。
あと書き加えておきたいのが、風景の美しさです。
特に正月の縁日の映像がとてもよくて、あのお正月の昼間のふわふわした感じがとても好きです。また、カラオケが終わったあとの朝の駐車場の風景も佐々木の心象とも重なって、凄く好きな映像です。
この作品をどんな状況で観るかによって大分好き嫌いが分かれる気がしますが、僕は今観て、本当に良かったと思います。
切れた凧のように浮遊していても、必ず夢に辿り着きたいと思います。