五十嵐早香のnoteは何故面白いのか?第3回「自己承認とくそったれの世界」
※ 今回は、ネタバレなしとネタバレ全開で書きたいので、早香先生の記事に合わせて、前半は無料、後半は有料で行きたいと思います。
皆さんは、某匿名掲示板や某匿名掲示板のまとめサイトはご覧になるでしょうか?
ひょっとすると書き込むよ、という方もいらっしゃるかも知れません。
幻冬舎から出ている「平成ネット史 永遠のベータ版」によると、かつてインターネットは集合知が集い、様々な情報の交換がされていたそうです。
そういえば、小説家の森博嗣さんのエッセイにも時々インターネット黎明期のエピソードがよく登場しますね。
そして、徐々にインターネットが広がっていくに連れて、様々な人が入ってきました。そういえば東日本大震災以後、Twitterに人がわっと入ってきて、空気が変わったのにも似ているかもしれません。
ネットは「色々な人」に開かれた空間です。
さて、この作品の冒頭では、まさに某匿名掲示板を連想させる書き込みから始まります。
主人公らしき「俺」は、心無い言葉をネットに吐き出します。
それが「癖」のようになっている人です。
この背景にある心理は講談社新書から出ている速水敏彦さんの「他人を見下す若者たち」が詳しいです。自分は努力していない、でも相手は輝いている。だから、けなしてなんとか自分と同じ位置か下に置いておきたい。
SNSの普及によって、僕らは相互評価のゲームを意識するようになりました。「いいね」の数、「リツイート」の数。誰かのキラキラした休日と自分の休日を比べるようになってしまいました。
努力したり継続してたりしていくのは大変ですが、けなしたり見下したりしていることは楽です。
でも、その先に待っているものは何でしょう?
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